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diversity に何の意味があるのか

diversity 〔…の〕[a diversity] 種々,雑多(weblio より)
多様性などと訳される事がおおいらしい。いわゆる多文化共生などと同義だろう。→ 多文化共生というまやかし
で、これが今の文化論議の主流であるようだ。

これになにか意味があるのか? 意味などない。

1.今までの文化はそうやって出来たのではない。
2.多様性の元になってる文化は単一のものであった。
3.これで文化を作ったなら、その後の文化はどうするのか。
4.おそらくだが国による差別化が起きる。


まあ、いままでの文化を見れば分かることだが、例えば、日本文化が花咲いた時期というのは、平安時代、江戸時代だろう。どちらもほぼ日本文化だけからの発展であった。前者は中国との連絡を絶ち、後者は鎖国下である。多様性など不要なものだった。しかし、結果としてできたのは、多様な文化であった。例えば浮世絵はフランスの画家音楽家に重大な影響を与え、俳句は世界に類似の文化を生んだ。つまり、その担当者が多様的である必要はないのだ。形と内容は一致する必要はない。それは今の日本でいえば、マンガ、アニメなどにも通用する。各種のジャンルがそれらの枠内で生じた。他国の参加をまつ必要などなかった。それらは90年代までは他国からの侮蔑を浴びてさえいたのだ。これは寿司刺し身などの料理も同じである。生の魚を食うなど、他国に類似のものはほとんどない。また、交流もなかった。しかし、それが発展したのだ。

この言葉には多文化共生と同様の語義矛盾がある。
一言でいうと、多文化社会の中で自分の文化はしっかり保持しなればならない、ということだ。そうでないと、diversityあるいは、多文化共生にならない。しかし、そんなことは無理なことだ。各種の文化が混じり合っているなかで、どうやって自己の文化だけ保持するのか。自分はできても、子供はできるのか、そんな環境で。かりにそれでうまく融合できたとして、その後はどうなるのか。世界中に似たような文化の国ができるだろう。文化の死滅でjはないのだろうか。一体何が面白いのか。

さらにそんな融合は、出来たとしても、限られた国においてのことになるだろう。簡単に言えば、アジア・アフリカ・中南米から、欧州、アメリカ、あるいは日本に出てくるのだ。そこはそれなりに発展するかもしれない。しかし、その元の国はどうなるのだ。優秀な人材は出ていくだけだ。入って来ることはない。100%ない。枯渇していくだけではないか。今も難民を受け入れろなどと国連がうるさいが、その結果をどう思うのか。こういった事を祭り上げる側は、善人面ができていいだろう。しかし、そのあとに何が残るのか。

この事と関係あるかどうか不明だが、今の世界の文化事情がそうなってる気配がある。映画は、昔は各国で作られたのが流行ったものだった。フランス、イタリア、イギリス、あるいはポーランド、ギリシャなど。今は、なんだかハリウッド製ばかりになってる気がする。あまり詳しいわけではないが。しかもネタが尽きてて、続編みたいなのがおおい。あるいは日本の漫画から借りたものとか。全体としてつまらなくなってる気が。また歌も英語の歌ばかりだ。欧州の歌はかなりの程度そうなってる。フランスぐらいかなあ、独自なのは。昔は、フィリピンの歌で、Anakなんてのがあったのだが(タガログ語、77年らしい)。大体が自国語で歌っていた。今は、BABYMETALぐらいかな(^.^;


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まあ、こういった欧州発の風潮は、色々とおかしい。
一体裏で何を考えているのか。

A. 単に欧州の人間の知的低下の可能性。まあ、これはかなり高い。
B. 世界を破壊したいという欲求。まあ、変だと思うかもしれないが、マルクス主義が裏にあればおかしくはない。

どっちなのだろうか。それがわからん。



続く
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