『太平洋戦争における人種問題』クリストファー・ソーン著・・・(2)

前のページからの続き
草思社、1991年発行、市川洋一訳。原題は、"Racial aspects of the Far Eastern War of 1941-1945"by Christopher Thorn,1982。

☆ 助長されていった人種的偏見(続き)

p33・・・たとえばローズヴェルトにしても、日本人の「邪悪さ」の原因は頭蓋骨の形が白色人種のものよりも発達が遅れているせいだとまじめに彼が信じていたことを示すはっきりした証拠があります。彼のそうした考えは、ほかならぬスミソニアン博物館の自然人類学主事から吹き込まれたものでした。

p34・・・アメリカやカナダの宣伝文書、映画、漫画において、ドイツやイタリアに関しては主たる攻撃対象はヒトラーやムソリーニ個人でしたが、日本に関しては、天皇や首相だけではなく、日本国民そのものが悪の化身として攻撃の対象になっていました。

p36・・・アメリカ海軍のウイリアム・ハルゼー提督は立ち向かってくる「下等な猿ども」をもっと殺して、「猿肉」をたくさん作れと部下をいつも督励していました。戦況が連合国側に有利に展開してくると、ハルゼー提督はさらに生き残った日本人は去勢してしまうべきだと主張しました。

p37・・・ オーストラリアやニュージーランドの新聞も、日本人のように残虐行為を犯す人種は決して信用できないと警告しました。民主主義国家が直面している任務は、「野蛮人」の民族性を変えること、「この人種の2000年の遅れを取り戻すこと」だと、『シドニーデイリーテレグラフ』は主張しました。

p38・・・(一方日本では)大東亜共栄圏の建設は、「肇国の精神を忘れた機械的な民族平等観に基づくものであっては断じてならない」というのでした。ライシャワー教授によると、自分たちは独自の特質を有しているのだという日本人の信念の「本質は、他国民とはあたかも違った種なのだという、深く根ざした人種差別的概念」でした。
(註・・・肇国=ちょうこく=国を建設すること、神武の建国をさしていると思われる)

※※※ まあ、どっちもどっちとは言え、新大陸で原住民を遊びで殺していた連中が、他民族をよくもこんなに悪し様に言えるもんだと感心する(笑)。言うのはいいとして、こういう場合の彼らの脳j内はどうなっていたのか不思議な気がするんだが。しかも、黒人、インディアン、アボリジニに対する差別は、この後の60年代、70年代まで続いている。カナダでのイヌイット差別は今でもあるらしく、数千人規模で殺されてる。どんな精神構造なのだろうか。まあ、人間だとは思ってなかったのかなあ、まじで。


☆ 「有色人種」対「白色人種」

p41・・・1942年にアメリカに滞在し、人種問題を研究していたガンナーミュルダールは次のように述べています。「この戦争では一方の側に『有色人種』の国、日本がある。そしてこの国はまず自分の土俵の上で白人のアングロサクソンをたたいた・・・うぶなニグロでさえも世界の出来事の中に皮膚の色の図式をうすうす感じ始めている」。

p42・・・寝台車ボーイ組合の戦闘的な組織者、A・フィリップ・ランドルフは主張しています。「この戦争は、自由のための戦いではない。『白人支配』と・・・・有色人種の搾取を続けていくための戦いである」

p43・・・オランダの首相P.S.ヘルブランディが、日本の勝利によって白人の威信が脅かされていると声明したとき、『ボンベイ・クロニクル』はいち早くそれをとり上げ、次のように論じています。「日本を罰するための戦いが中国人、インド人、フィリピン人、東インドの人びとの助力のもとに行われているのは、日本に対して・・・・「白人の威信」を擁護するためであり、日本の主たる罪とは明らかに侵略ではなくして、有色人種であるということである。」

p45・・・ローズヴェルトのインドでの代理人ウイリアム・フィリップスは1943年に次のように書いてます。「有色人種としての意識が・・・現在ますます前面に出てきたし、今後も大きなっていくにちがいない。西洋人に対する強い嫌悪感や不信感など多くの共通点を持つ東洋民族の一大ブロックが、われわれの前にたちはだかることになるだろう」。

p46・・・オーストラリアと同様、オランダもまた中国での治外法権の廃止については、なかなか同意しませんでした。その原因は本質的には人種的な問題でした。

※※※ 大戦後、東南アジアでは独立が相次ぐわけだが、既に大戦中にそういった意識が醸成されていたのが分かる。ボンベイクロニクルという新聞は、日本に対しては批判的なスタンスだったが、それでさえ、この戦いが人種間の戦いであるという認識を示している。こういった認識は白人の中にさえ広がっていっていたようだ。勿論その意識を高めたのは日本である。日本が無ければずっと植民地だっただろう。アフリカのように。国内サヨクは、そういった面を隠蔽したいのか、日本は「アジア諸国」を侵略したと散々言ってきた。そんなものはほとんどないのだが。ただ、時々思うのだが、マジで彼らは歴史を知らないのかもしれない(笑)。ほんとにマジで、「アジア諸国」を侵略したと思ってる可能性がある。最近のサヨクのレベルは下がってるし。植民地だったって知らないのかも。村山とかも言っていたが、騙してるようにも見えなかった。
 しかし、中国での治外法権ってこの時期まで続いていたとは驚いた。それにしては、中国は日本だけを批難の対象にしてるが(笑)。彼らは白人には頭が上がらないんだろう。東南アジアのプランテーションで白人の下で現地人を使っていたのは中国人だし。表面では強気でも、深層ではコンプレックスを持っているように見える。


☆ 新しい国際秩序と差別意識

この章では、戦後のアジアの将来への展望として、欧米側に各種の見方があったこと、それは国によって違い、各国内においても混乱があった事が書かれている。また、ドイツとの戦いがあったため、アジアについては明確に意識された形にならなかった事など、かなり複雑な内容となっている。

オランダでは
p50・・・「民族主義、民主主義、共産主義の風潮が今や世界を形づくる力となってきた。それらは東インドにも根を下ろした・・・・東インドの出来事は今や世界を巻き込んでいる」と、戦争が終わったとき、オランダの首相は、日本の捕虜から
解放されたばかりの保守的な東インド総督に書きおくりました。

イギリスでは
p51・・・たとえばダフ・クーパーは1941年に閣僚たちに次のように警告しています。「われわれが今、相対しているのは、ヨーロッパ人の優位やアジアにおけるその特権を認めようとしない、勤勉で聡明で勇敢な、膨大のアジアの人々である」

p52・・・またイギリスやオランダの政府関係者は、日本のスローガン「アジア人のためのアジア」には強力なアピールの力があるとひそかに認めていました、

しかし、一方でチャーチルをはじめとして白人支配の秩序に変化が起こることを認めなかった人も多くいた。あるいはアジア情勢の変化を認めながらも、白人の特別な地位を放棄したくない、という人が広く見られた。

p56・・・オランダ共産党の地下機関紙『ディ・ヴァールハイト』「他民族を抑圧する民族は自由ではない」と主張してはいましたが、「オランダとインドネシアは分離してはならない」とも強調していました。

フランスにおいては幾重にも分裂した思潮があった。
p57・・・日本軍のインドシナ進出を目にした現地の多くのフランス紙は、フランスとアジアの協力を説くとともに、インドシナの人々を包含し、さらには「西欧と極東の二つの文明の調和ある総合」を生み出す共同関係について論じました。しかし、フランスにおいても、またインドシナにおいても、ヴィシー系のすべての新聞が強調した点は、インドシナのシ将来はフランスに対する愛国心の復活と純化とその結集の上に築き上げられなければならないということでした。

つまり人種差別的感覚はないとしても、やはりフランス中心であることは当然の前提であった。そしてそれに対する日本の脅威が認識されていた。

p58・・・『アクション・フランセーズ』の指導的な記者の一人は次のように述べています。「アジアの、とくに日本の、その固有な特質への回帰、それは西洋文明の装いの影に隠れた粗暴な一面である。だがそれは、さまざまな影響を持つ重苦しい現象である」。

反ヴィシーのレジスタンス側は人種差別に反対はしていても、それは主にナチズムや反ユダヤ主義に関わるもので、アジアに関しては温度差のあるものだった。

p59・・・1944年11月の社会党大会では、植民地の人々の真の解放は、民主的社会主義的フランスとのより緊密な結合の中にあると述べられています。

つまりヴィシー政府の主張と同様なものであった。

p60・・・ド・ゴール派と同様、共産主義者たちも、1940年に大きく揺るがされたフランスの栄光は完全に回復されなければない、そのためには、海外領土を奪回しなければならないと強硬に主張。していました。

イギリスにおいては、植民地解放論は強くはあったが、戦後の植民地政策はイギリス独自の方針で進めていくという堅い気持ちがあり、またフランスやオランダの植民地は宗主権を回復すべきだと考えられていた。

p61・・・ナチス・ドイツとの存亡をかけた戦いの中では、従属民たちの将来といった問題はごくわずかな位置しか占められませんでした。どちらかといえば、本来のヨーロッパ中心主義がいっそう強まっていったのでした。

アメリカでは、東南アジア地域の不安定さや共産主義への警戒から、欧州の支持が必要だと認識されていった。また、アメリカ的価値の普遍性への確信が見られた。一部のアメリカ人にみられた延安の共産主義者への共感も、その中にアメリカ的な文化、政治文化の考え方を感じたからだった。人種的偏見に激しく反対したパール・バックでさえも、

p63・・・アメリカは、「アジアに対する思想的指導権」を保持しなければならない、「アメリカ的生活様式」をアジアに広めなければならないと、公然と主張していたのであります。

マッカーサーも
p63・・・彼はジョージ・ケナンに次のように書きおくっています。日本の国民は「指導と示唆を渇望している。民主主義とキリスト教を彼らに与えるのが私の目的である」

スポンサーサイト

テーマ : 歴史関係書籍覚書
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

kifuru

Author:kifuru
FC2ブログへようこそ!
元のHPは"kifuruの長文系ページ"、http://kiyo-furu.com (政治詩文関係)と ”kifuruの写真音楽系ページ http://www.kiyo-furu.sakura.ne.jp/(写真音楽関係)に移転しています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR