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「ヘイト演説」攻撃が始まった・・・言論の規制を要求するメディアとは何なのか

朝日新聞が、桜井候補の演説を批判し始めた → 魚拓
別の候補のレイプ疑惑の方は問題にしないのかな?

>在日コリアンについて「日本から出て行け」などと主張した。
>選挙運動においても差別的言動は許されない。

らしい。
一言に差別的というが、それが差別的かどうか誰がどう決めるのか。
国連の人種差別撤廃条約では、
「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること」とある。

桜井候補は、日本人の優越は言っていないし、憎悪も振りまいていない。差別行為の扇動もしていない。暴力行為も扇動していない。資金援助もしてないだろう、背景はしらないが。

外国人への生活保護停止、故国に帰れといったぐらいだろう。生活保護を外国人に与えるのは憲法違反のはず。ただの役人の一通の指示書だけで認められている。ちょっとした思いやりが逆手にとられるというのはよくある話だ。外国人に対しては譲歩してはならない。

故国に帰れというのが差別なのか。戦争中外地にいた日本人は戦後必死の思いで日本に帰ってきた。しかし日本から祖国に帰らない人たちがいる。日本人を憎悪し、糾弾しながら。それは普通に見ておかしいだろう。なぜ帰らないのか。すぐ近くにあるのに。時期も数年しかたってないのに。アメリカの黒人にアフリカに帰れといっても無理だろう。祖国がどこかもわからないだろうし、親族もいないだろう。しかし、在日の場合は、戦後直ぐにGHQからの帰国命令も出たのにかなりの人数が帰らなかった。帰還させるなというデモまでしてる。強制連行されたとか言いながら。さらにその後、朝鮮戦争の時にも密航して来てる。戦前戦後の新聞を見てみれば、密航の記事の無い日などないくらいに頻繁に来ている。なぜ来たのか。なぜ帰らないのか。実家があるのではないのか。親族もいるのではないのか。向こうから帰ってこいと言って来ないのか。まあ、その辺りがミソだろう。理由は見当は付くが、今の当人達はもしかしたら知らないのかもしれない。
(ちなみに、在日朝鮮人は強制連行された、なんて捏造が行われたのは、北朝鮮も信じる事ができなくなって帰る宛がなくなった、60年代後半からだと思う。そういう捏造本が出た。北朝鮮への帰国運動で逆に実態がバレた)

外国で人種差別言論がきびしく見られるのは、それに暴力行為が直接的に付随するからだ。今でも、黒人容疑者など平気で射殺されている。しかし日本は違う。外国人だからといって射殺などされない。外国人街が放火されたり迫害されたり、暴力行為が起こるわけではない。しかし、日本のサヨクは、言葉だけを日本に強引に当て嵌めて、社会的背景など無視して、言論を封じようとしている。差別的なるものの敷居を極端に下げてまでして。その結果、日本ではただの言葉狩りになっている。あるいはちょっとした対応の態度などが問題にされたりしている。確か、どこかの大学の事務員が外国人に横柄に見える態度を取ったといって批難されて自殺した例があったはず。実体がないから逆に無限に細かいところまで追求されている。差別による暴力が普通に社会にあれば、それが阻止されればいい、という常識的なラインができるのだが、日本では事実上それがないから、言葉や態度のニュアンスまでが追求される。

上の社説のなかに、あっさり「差別的言動」と書いてるが、「言論」と「行動」は天と地ほどに違う。言論には言論で対抗できる。しかし、行動に対してはそうはいかない。殺人、傷害は勿論だが、差別的制度などもそう。

アメリカでは黒人差別は60年代まで続いた。制度的な差別があった。公民権から、交通機関の座席とか、通学に至るまで。
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上の写真は、57年、ノースカロライナのシャーロットにある、ハリーハーディングという白人の高校に編入を認められた黒人少女Dorothy Countsを取り囲み罵倒する群衆。登校に反対するために、1千人も集まったとか。当時の知事は人気取りの為に、州兵を派遣して入れないようにしたらしい。それに対して当時のアイゼンハワー大統領が連邦軍を派遣、護衛して通学させた。左後方に兵士の姿が見える。しかし、石やゴミを投げつけられ、教師にも無視されて4日後退学、他校に移った。
のちに他の州で大学に入り、育児介護の専門家となった。2010年、当時の群衆から公的な謝罪を受け、また高校も図書館に彼女の名前を付けた。まだ生存してるらしい。→ 50年後母校を訪れた時のことなど。
またこの写真を撮った写真家、Douglas Martinは"1957 World Press Photo of the Year". を受賞した。
こういった事を背景として欧米の人種差別撤廃の法制度は出来た。日本とは違う。

この写真はかなりショッキングなものだ。何がショックかといえば、周囲の群衆よりは、黒人少女の冷静な表情である。大勢の群衆に囲まれ罵声を浴びせられたら、15歳の私なら耐えられなかっただろう。誰だってこんな風に罵声を浴びたらうろたえるだろう。なぜこの少女は冷静でいられたのか。抵抗力が付いていたのだ。数知れぬ体験を通じて。あの表情のインパクトの強さはそこから来ている。

この写真は私にとっては、キャパが戦後のパリで撮った写真に匹敵する。直接の関係はないが引用。
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赤子を抱いたナチ協力者(愛人か)を丸坊主にして、その家族と共に街中を連れ回す群衆。女性の前にいる老人が女性の父親か。ナチ協力者への憎悪は理解はするが、何か虚しい。君らは何をしてたのだ、と言いたくなる。ドイツにたったの一ヶ月で降伏し、ポーランドが侵攻された時には参戦義務があったのに放置して惨害を拡大させた。今の日本と同じように反戦気分が横溢してたらしい。反戦はむしろ戦争を拡大させるいい例だ。ポーランド侵攻の時点て対応しておけばまだなんとかなったのに。あまり言われないが、第二次大戦でフランスほど阿呆な国はなかったろう。この写真の中でポジティブな面を言えと言われれば、女性が赤ん坊に投げかける愛情と、一緒に晒し者になって歩く父親の姿である。

差別的言辞の板子一枚下にはこういう現実があるのが、欧米だったのだ。
こういった背景事情を無視して、条文だけを持ち込み、そんな差別などは存在しない日本社会をあら捜しして厳格な適用を行い、私らは進歩派でござい、というのが日本のサヨクだった。これは何でも同じ。少年法なども含めて。これはいわゆる反日的な意図もあっただろうけど、多くは無知と愚かさの結果だろうと思う。欧米の社会は日本よりは遥かに「進んだ」社会であって、日本に見られるような精神的な貧困などはないのだと思いこんだのだろう。今でも何かあるたびに、「国際基準ではこれは差別だ」、「欧米から笑われる」、「世界に顔向けが出来ない」(笑)、などといった問切り方の反応がある。どこの並行世界を想定してるんだろう。別に日本が完璧な社会、最高の社会だというわけではないが、西欧基準のその言葉面を元にして日本のあり方を否定する、これをずっと繰り返してきたのが日本のサヨクだった。

中には「これは人間の国か」と叫んだ人もいる。一体どこの国なら満足したのだろう。人間社会に起きるあらゆる不幸を政府や社会のせいにして、ちゃんとやれば起こらないはずだ、そういう社会をなぜ作らないのかと叫ぶのだ。一体どこにそんな社会があるのか。言葉だけを見てると、日本だけが極端に歪んだ社会であるかのように見える。そういった思考は現状を否定して更に混乱をもたらすだけである。まあ、それが目的なのかのしれないが、どうしても思考力が足りないのではないかと思ってしまう。隣の某国では政治犯を飢えた犬に襲わせ、アフリカなどでは、敵対部族を吊橋からはるかに深い谷に面白がって投げ捨てる、なんて状況がある。それが人間の現実なんだが。日本でそんな不満が言えるのは、相当に恵まれた社会だからだ。上のような社会じゃ、そんな発想さえ起きないだろう。

(全然関係ない話だが、アメリカもフランスもデブが一人もいない(笑)。全員普通の体格をしている。フランスは戦争直後だが、アメリカは史上最高の繁栄の時代だったのに。今との違いはなんなんだろう)





続く
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テーマ : 日本を正常な国に戻したい
ジャンル : 政治・経済

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