洋楽の歌詞和訳 Black night by Deep purple

Black Night by Deep Purple/ブラックナイト ディープパープル

Black night is not right, 闇夜をさまよってるみたいで、良い感じじゃない
I don't feel so bright,   明るい気分にはなれやしない
I don't care to sit tight. 今はじっと待つのも悪くない
Maybe i'll find on the way down the line だけどそのうち、見つけられるだろう
That I'm free, free to be me.  自由になれるって事を、自分らしくね
Black night is a long way from home. 今は闇夜をさまよって、自分の居場所から遠く離れてるけど

I don't need a dark tree,   暗い木のような連中はいらない
I don't want a rough sea,  荒れたこの世もね
I can't feel, i can't see.    何も感じられないし、何も見えない
Maybe i'll find on the way down the line   だけどそのうち、見つけられるだろう
That i'm free, free to be me.   自由になれるって事を、自分らしくね
Black night is a long way from home.   今は闇夜をさまよって、自分の居場所から遠く離れてるけど

Black night, black night,  闇夜だよ、闇夜、
I don't need black night,  そんなものはいらない
I can't see dark night.    暗い夜じゃ何も見えやしない
Maybe i'll find on the way down the line   だけどそのうち、見つけられるだろう
That i'm free, free to be me.  自由になれるって事を、自分らしくね
Black night is a long way from home.   今は闇夜をさまよって、自分の居場所から遠く離れてるけど



ディープパープルの名曲、ブラックナイトです。

Black night ってのは何を意味してるのか。ただの闇夜なのか。
以前は漠然とそう思ってましたが、ちょっと違うかなと最近気付いた。

キーは、
Black night is a long way from home にある。
私はずっと、
Black night,it's a long way from home だと思ってた。
これだと、暗い夜で、家からは遠い、と読める。
しかし、it's じゃなくて、is なのだ。つまり、
「暗い夜」は、家からは遠い距離にある。
家から遠い状態にあること、それをBlack night と言っている。
日本語にもそれに近い言葉がある。この世は闇だ、とか。

おそらく、家というのは、自分のいるべき場所、あるいは、自分らしく振る舞える場所、なんだろう。
そして、Black night というのは、そこにいないで闇夜をさまよってるような状態をいうんだろうと。
そうすれば、この詩も解読は容易になる。
a dark tree(暗い木) ってのは他の人のこと、a rough sea (荒れた海)ってのは社会の事。
on the way  は途中で、まもなく、down the line  は、そのうち。sit tight  は 様子を見る、静観する。
よって上記のような訳になった。

曲も良いが、なかなか歌詞もいいのではないか。
ま、ロックの歌詞ってのは適当だから、あまり真剣に考える事もないけど(笑)。

これを、日本のロッカー風に訳してみた(笑)。あくまで冗談ってことで。

闇夜をさまよってるみたいでむかつくんだよ
もっとなんとかならねえのかよ
今はおとなしくしてるけどさあ
そのうちやってやるぜ、
俺らしく好きにさあ
俺の正体見せ付けてやるぜ

他人の事なんかしったこっちゃねえ
この世の事なんかくそくらえだ
わけわかんねえよ、どうなってるんだよ
だけど、そのうちやってやるぜ
俺らしく好きにさあ
俺の正体見せ付けてやるぜ

この世は闇だ、闇夜だよ
そんなものはいらねえ
何も見えない闇夜なんか
だけど、そのうちやってやるぜ、
俺らしくすきにさ
俺の正体見せ付けてやるぜ


ま、こんな感じかなあ(^_^;)。
(2015/1/15一部書き換え)








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テーマ : ハードロック
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珈琲焙煎日記 コスタリカ ゲイシャ種 

コスタリカ ゲイシャ種 コフィア ディベルサ農園 170グラム フルシティー辺り

コフィア ディベルサというのは、多様なコーヒーの種の楽園といった意味らしい。200種ものコーヒーの木を栽培しているとか。ゲイシャ種の本場、パナマの隣の国。
マラウイのゲイシャ種には特段の味とか香りとかは感じないが、このコスタリカのものは、なんというか華やかな味わいがある。香りと味が一体となった華やかさがある。~臭とかいうのではなく、何か楽しげな雰囲気を感じさせる。多分、パナマ産の超高価なゲイシャ種に通じるものがあるのに違いない。飲んだことはないが(笑)。
ゲイシャという名前は、エチオピアの gesha という地域名のアメリカ風発音らしいが、結果的にいい名称だったんだろう。

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ここで一句
カリブなる 草の花から ゲイシャの香



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読書日記 ヨーロッパに消えたサムライたち・太田尚樹著

ヨーロッパに消えたサムライたち・太田尚樹著・角川書店

現在スペインには、Japon(ハポン、日本)を苗字とする人たちがおり、それは支倉常長遣欧使節と関わりがあるのではないか、という疑問を追求した本。とはいえ、メインは支倉一行の苦難に満ちた渡欧の行程についての、現地資料を元にした克明な調査であって、ハポン姓の人々の話は副次的なものである。だから、タイトルと中身とは若干ずれがある。ただ、誰もが興味を持つ話題だろうし、それで関心を引くのも悪い手ではない。私もそちらの興味で買った。

[以下部分的要約]

伊達政宗は、スペインとの間に外交関係を持ち、スペイン艦隊の力を借りて、奥州を独立させる事を秘かに希望した。そして通商の必要性を表向きの理由として、外洋船を作りメキシコ、スペインに派遣したいと、幕府に建造の願いを出した。既にスペインの実力者レルモ公爵に朱印状を出していた幕府も、交易の可能性とメキシコで行われていた銀の精錬法を探るためにこの話にのり、舟手奉行に船の建造を手伝わせた。

その船バティスタ号には、スペインの太平洋艦隊の司令官で、大使として日本に来ていたビスカイノや、通訳を兼ねていたフランシスコ派の宣教師ソテロ、乗組員らスペイン人40名、ソテロが集めた日本人のキリシタンら百余名、仙台藩士12名(+低い身分のもの3名)、幕府派遣10名の、総勢180人で、1613年10月仙台をメキシコへ向けて出発した。船は500トン規模だったらしい。

3ヶ月後の1月、メキシコのアカプルコに到着後、2ヶ月かかってメキシコシティに着き、メキシコ総督に面会した。内、日本人26名はスペインに向かった。内訳は、仙台藩士11名(1名は帰国、3名は現地逃亡)、その他商人やキリシタンなど15名。6月にウルーアの港に着き、スペインに向けて出港した。一方、日本の実情を知るスペイン関係者からは、スペイン国王に向けて、日本での布教は望めないので、この使節のいう事は聞かない方が良いとの書簡が送られていた。

セビリアを流れる大河、グアダルキビル川の河口パラメダで、当地の領主メディナ・シドニア公爵(26年前スペインの無敵艦隊を率いてイギリスに大敗した提督)の歓迎を受けたあと、上流の税関のあるコリア・デル・リオで上陸した。日本を出発してからほぼ1年後の1614年10月半ばの事だった。

この後、セビリアやローマに向けて旅立ち、大歓迎を受けるのだが、日本ではキリスト教が禁止されてることが知られていたので、国交樹立や通商協定締結の望みは叶わず、一方で支倉も成果もなく帰国するわけにもいかず、吉報が届くのを待ちながら、欧州各地や帰途でのフィリピンなどでの滞在が続き、帰るのに7年もかかってしまう。

(この間の要約は省略)

ローマからスペインのコリアデルリオに1616年の5月に戻って来た日本人26名中、1名は途中で使節の一行から外され餓死(!、家康のスパイであったとか)、4人が現地に居残る事を決めた。居残る決心をした理由は、キリシタンであったこと、往路での船旅の困難さに怯えたことなどがあったらしい。残り21名中、13名が先発隊として帰国の船に乗り、8名が残った。所が実際に帰ったのは10名で、帰国者が3名減っていた。その3名が亡くなったのか、逃亡したのかは不明。よって、この時点で最大、支倉を含めて15名が残っていたことになる(この本だと14名になっているが、それだと計算が合わないような気が)。

滞在延長はソテロが怪我をしたためであったが、支倉はそこに更に1年間留まる。翌年1617年7月、支倉たちはメキシコに向けて6名で旅立つ。よって、最大9名(本書だと8名)が居残る事になる。その残ったものたちは、コリアデルリオの周辺に住み着いたらしい。またその中には仙台藩士はいなかったという。下層のもの達だけで、苗字はなかったらしい(但し、瀧野嘉兵衛という護衛隊長をやっていた幕府派遣らしい男も残ったが、ここからかなり離れた場所に住んだ。また裁判沙汰を起こしてあまり幸せな生涯は送らなかった模様.。本書にある残留人数は瀧野を省いているのだろう)。

メキシコに着いた後、1618年4月フィリピンに向けて出港、6月に到着後も、スペイン国王の書状を待って、2年間滞在、1620年9月、日本に帰国した。

ところが日本は鎖国しており、宣教師が殺されたりしていtて(4年後にソテロも火焙りの刑)、支倉自身洗礼を受けていたため、伊達政宗は表に出さぬよう蟄居を命ずるしかなく、支倉は歴史の闇に消えてしまう(その存在が再確認されるのは、なんと明治初めの岩倉具視などの遣欧使節が欧州滞在時)。帰国2年後に死去。また帰国後、子供にも洗礼を受けさせたので、政宗死後、長男などが処刑される結果になった。酷い結果ではある。


ただ、ここでの問題は、ハポン姓についてで、そのコリアデルリオの現在での状況になる。
そこは、
1.水田が広がっていて、稲作が行われており、その稲作の起源については不明だという。
2.それらの水田は、日本のように細い畦道で仕切られている。
3.支倉達が帰国したあとの数十年後に、ハポンを苗字とする人たちが現れた。
4.それらハポン姓の人たち600名余が、コリアデルリオの周辺に住んでいる。
  (スペイン全土では800名ほどいる。ちなみにスペインでは苗字を父方、母方両方から取る。
   この数値は、どちらかがハポン姓の人。両方をハポンとする人も10名いるらしい)
5.彼らの職業は、稲作が中心。
6.ハポンには、日本という以外の意味はない。
7.ハポン姓の人は、先祖がサムライであると言い伝えられてきたという。
8.スペインでは、本来の性以外に出身国名を性とする場合がある。画家のグレコ(ギリシャ出身)など。
  また、この地に居残った人たちはサムライ階級ではなく、元々、姓は持ってなかった模様。
9.現在のハポン姓の人たちは比較的高学歴らしい。
10.ハポン姓の人は高確率で、幼児の頃、蒙古斑が出る。また他のスペイン人には出ない。
11.ハポン姓の人の先祖は5家族に集約されるらしい。それは居残った日本人の数に整合している。
12.ハポン姓の人は、朝が早く、6時には働き出すという。他のスペイン人より2時間早いらしい。

また傍証として、アルゼンチンに残っている記録で、日本人奴隷として、フランシスコ・ハポンという名前が記録されてるという。

[要約終わり]

テレビ番組より




1分30秒辺りに出てくるおじさんは、日本人風(笑)

[以下私見]

全てが状況証拠なので、確定は出来ない模様。ただ、瀧野と餓死した通訳(モンターニョ、日本人)が居残ったのはスペイン側の資料で確定らしい。後者のスペインでの名前は、フランシスコ・マルティネス・ハポン。

何か、武具などの遺品とか、書き付けなどが出てくれば良いのだろうが、元々下層民だったので、刀などは持っていなかったろうし、文字が書けたかどうかも分からない。江戸初期だと寺子屋も発達していないし無理かもしれない。また上記二人以外に、日本人が残ってコレアデルリオ周辺に住んだという確かな資料もないらしい。ただ、その可能性は相当に高いだろう。

個人的に知りたいと思ったのは、現在の米の調理法。何か炊き方とか、おかずの作り方に日本風のものはないのだろうか。味噌汁風のとか。食生活以外の習慣でもいいが。まあ、日本人の現在の食生活その他についても、江戸初期とはかけ離れてはいるだろうが。

外国に残るという決断をした人の気持ちは、今となっては推し量るのも難しいが、当時国内ではキリシタン弾圧が酷かった事、二つの大洋を渡るという事は当時の航海としては大変な難行であったこと、サムライ階級でない人にとっては将来の生活に期待が持てなかった事など、状況の違いがあるという事なのだろう。

以上

(6/15)
皇太子様が、コレアデルリオをご訪問のニュース

ニュース番組





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珈琲焙煎日記 ペルー・アンデス2000

ペルー・アンデス2000 150グラム シティからフルシティ辺り

ペルー北部のハエン県の2000m級のアンデス山脈斜面で取れる豆らしい。前回飲んだ時の印象では、エキゾチックな香りで、ほどよい酸味の豆だった。ペルーの豆は、南米の豆が舌に合わない中、基本的には合う感じ。こういうのは何で決まるのかしらないが。多分、土の成分かな?(1/24)


andes-n-DSC01504.jpgandes-r-DSC01506.jpg











ここで一句
アンデスの 春の大気の 香りかな 



(これは元HPの続きで書いています)

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テーマ : 料理
ジャンル : 趣味・実用

声楽レッスンの記録ーヴォルフ

ヴォルフ「歌曲選集1」より
 メーリケの詩による歌曲集
  さようなら-Lebe wohl
・・・これは比較的楽な方
  恋する男の歌-Lied eines Verliebten・・・これもそうでもないかな。
  火の騎士-Der Feuerreiter・・・超長い曲。音型はあまり半音階的ではなく楽。
     しかし、伴奏3連符に歌は2連符、これはちょっときつい。というか無理(笑)
     23小節から出る、Es,Es D-,Es,Es,D- の音のパターンを聞いて、
     私は、人間椅子の「陰獣」を思い出してしまった。
     かつてのイカ天の有名バンド。3分10秒辺り。しかし、この映像は笑える。上手いし。



     もっと評価されて良いバンドではないか。外国出身だったら、ブラックサバスとかキングクリムゾン、
     あるいはクリーム並だったりして。
  老婆心ながら-Zur Warnung・・・これは結構きつい、というか無理目。
     最初の方が、やはり細かな音符のシンコペーションがあって、拍を読み取るのが難しい。
     縦線を引いて判別。しかし、レシタティーボだと考えれば良いのでは、と言われて納得。
     ワーグナーの「ジークフリート」あたりに出てきそうな語り。中間部は簡明。
     終わり辺りが、最初の雰囲気に戻る。(1/23)

(これは、元HPの続きで書いています)

テーマ : クラシック音楽
ジャンル : 音楽

またもメディアの捏造ー麻生発言

メディアによる麻生発言のねじまげ

共同通信は、麻生氏の発言を次のように配信した、

> 麻生太郎副総理は21日午前の社会保障制度改革国民会議で、高齢者などの終末期医療に関し「いいかげん死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃかなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」と述べた。

これだけ見ると、まるで、「いいかげん死にたいと思っても」、とか「さっさと死ねるようにしてもらわないと」などの文の主語は、一般の高齢者であるかのように見える。

しかし、麻生氏の話の全体は、そうではなくて、これの主語は自分なのだ。
NHKその他から話を構成すると、麻生氏の話は、

「私は遺書を書いて『そういうこと(延命治療)はしてもらう必要はない、さっさと死ぬんだから』と渡してある。そういうことができないと、なかなか死ねない。「いいかげん死にてえな」と思っても、とにかく生きられるからといって生かされちゃかなわない。しかもその金は政府のお金でやってもらってるなんて思うと、ますます目覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうとか、いろんなことを考えないと。これ一つの話だけじゃなくて総合的なことを考えないと、この種の話は解決することはないんだと…」

といった事になる。
いかにも麻生氏らしい、キッパリとした人生観の見られる発言だ。しかし、上の共同の配信では、高齢者は金の無駄だからさっさと死ね、と言ってるかのように見える(笑)

大体、一般の高齢者について、「さっさと死ねるようにしてもらわないと」なんて発言をするような人が、この世にいるのか(笑)。それは政治家以前に人間失格だろう。それをあたかも大臣が発したかのようにいう。よく見た光景ではある。民主政権以前の自民政権時代に。

例えば、「女は子供を産む機械」発言。本人が、「これは喩えでいうんですけど」と断ってるにも拘わらず、そこを省いて、女とはそういうものだ、などと断定したかのように報道された。で、大臣退任。

また「神の国」発言。あれも、神道関係者のあつまりで、日本の八百万の神、という昔からの伝統をその場に応じて持ち出しただけなのに、政教分離や主権在民に反するなどと言って叩かれた。

民主政権以前は、これも許された部分もある。政権与党の横暴を制御する手段としての意味がない訳じゃない、という面はあった。

しかし、こんな連中が民主政権に対してはどうだったのか。ろくに批判しなかったのだ。

小沢の4億円疑惑については、遠慮がちに質問しただけで、小沢の「質問は一回だけ」という勝手な宣言に屈してまともに追求しなかった。松岡大臣の数百万?の「還元水」問題については、事務所まで押しかけて自殺に追い込んだというのに。

あるいは、鳩山の十数億にのぼる脱税疑惑についても「信じられないかもしれませんが、ほんとに知らなかったんですよ、テヘ」なんて発言をそのまま通してしまった。

日本のメディアは、事実を報道するのが仕事だ、という事を忘れているらしい。愚民を自分たちの思いのまま誘導するのが仕事だと思いこんでいるようだ。








テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済

古い時代のスカボローフェア曲集ーニコニコ動画について

ニコニコ動画 古い時代のスカボローフェア曲集について

ニコニコ動画

1曲目    The Elfin Knight/Joel Frederiksen youtube
2曲目3:55- The Elfin Knight/Martin Carthy youtube
3曲目7:45- Whittingham Faire/Joel Frederiksen (The Elfin Knight)というアルバムから  youtube
4曲目10:25- Cambric Shirt/Broceliande   youtube
5曲目13:50- Scarborough Fair/Vita Nova  youtube
 

4曲目の2重唱のバージョンとか、vita nova のが好き。

スカボローフェアについては、元のHPで色々書いています。

また、Parsley,sage,rosemary,and thyme の意味について、元HPでまとめてみましたので、是非ご覧下さい。

テーマ : 今日の1曲
ジャンル : 音楽

珈琲焙煎日記 マラウイ チャニア・ゲイシャ種

 マラウイ チャニア ゲイシャ種 190グラム フルシティー辺り

最近のお気に入り、というか生活の必需品。これを飲むとすっきり目が覚める。カフェインの含有量が多いのかどうかしらないが。軽めに焼くと特に作用が強く、深めに焼くと弱くなるが、甘味が出て美味しい。今回のはやや深めって所か。ゲイシャ種の本家はパナマだが、ブルーマウンテンの何倍もの高値でとても買えないので、こちらを飲んでる。パナマ産のはどんな味なんだろう。

nala-r-DSC01497.jpgmala-n-DSC01503.jpg











(これは元HPの続きで書いています)

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テーマ : 料理
ジャンル : 趣味・実用

書き散ら誌3 戦争は絶対悪なのか

戦争は絶対悪なのか

毎日新聞で、鳥越って人が、
>だけど絶対、戦争はしてはならない。僕は最後の1人になっても、どんな状況になっても「NO」と言い続ける。

なんて事を書いてるらしい。
これはこの世界において、決して天国ではないこの地上において、正しいと言えるのか?

勿論、ノーである。そもそも世界の常識に反している。世界中の国が軍隊を持っているのは何故か。それは戦争が起こることに備えてであって、別に侵略しようとお互い虎視眈々と狙っての事では、必ずしも(笑)無い(一部国家を除く)。戦争が起こる事、参加せざるをえなくなる事を、未来のありうる事態として、世界中の人間が想定しているわけだ。世界が狂ってるのか、この人が狂ってるのか。

しかし、日本にはこの手の輩が多い。「九条」信者とか、リベラルを標榜する連中だとか。それは外部からの侵略に滅多に会うことがなかった日本の特殊事情によるのと、GHQによる洗脳、そして、ある隠された特定の意図によるものだろう。

戦争が必要な場合

戦争をせざるを得ない事態は、私見では少なくとも二つある。異民族の支配や凶悪な独裁者の支配にさらされそうな時だ(後者は内戦となるが)。日本は幸運な事に、この二つの被害を受けていない。最大の不幸が前の大戦であったのだ。だから、戦争にだけ目が行ってしまう。しかし、それでも死者の合計は最大の推計でも300万人、国民の数%に過ぎない。これは実は他国と比べれば大した悲劇とは言えない。

異民族による支配の酷烈さは、世界史に充満している。イギリスによるアイルランド支配では、人口の半数が餓死、あるいは他国へ逃亡したという。モンゴルによるアジア大陸支配も有名である(尤も言われてるほどのものではなかったとも言うが)。西洋人による新大陸支配など、もはや言うも愚かであろう。ほとんど絶滅させてしまった。殺すことが遊びでさえあったのだ。

現代においても、中国共産党によるチベット支配とか、ソ連によるウクライナ支配、極東地方にいた朝鮮族支配などいくらでもある。チベットでは人口の1割以上の120万人が殺され、多くの男が断種を強制され、チベット寺院が壊された。ウクライナでは穀物の強制取り立てで一千万人近くもの餓死者を出した。極東にいた朝鮮族はソ連によって、環境が全く違う中央アジアに移動させられた。第二次大戦後、東欧に住んでいたドイツ人の帰国の際には、300万人が殺されたという。

独裁者、あるいは独裁集団による殺戮は、20世紀の共産国家において当然のような光景でもある。前項の異民族支配と若干被ってしまうが、それ以外でも、カンボジアのクメールルージュによる、国民の3分の1の260万人とも言われる殺戮があり、中国共産党の大躍進、文化大革命では、共に数千万人の犠牲者を出したとも言われる(餓死者なども含むが、毛沢東は、農民など餓死しようと、取り立てればいいと言ってたらしい)。

日本の場合

日本は余りにも平和だった。しかし、そんな日本でも危機に直面したことが、何度かあった。元寇時と、太平洋戦争の前後、そして、この前の民主党支配である(笑う人もいるかもしれないがほんとにそう思ってる)。

戦後の米軍による占領はどうか、という人もいるだろうが、あれは実は幸福な占領であった。なぜなら、来たのが軍隊だけだったからだ。彼らの多くは帰っていった。もし、米軍でなく他の国が占領していたら、それでは済まなかったはず。恐らく今の北方領土のように、そこの国民が移住してきただろう。そして、日本人は住処を追われただろう。神社や寺院は壊され、多くの日本人は平和な統治下で殺され、あるいは凍土や砂漠地帯に移住させられただろう。環境が違えば、日本人は日本人でなくなる。桜も米も刺身も風呂も、あらゆる日本文化は失われただろう。

元寇時、元軍は戦闘員だけでなく、農業従事者も連れてきていた。もし鎌倉幕府軍の果敢な戦闘が無かったならば、直ちに北部九州は占領され、日本人は追い払われるか奴隷の境遇にされただろう。日本全土もそうなっただろう。台風にやられたというのは、それは結果であって、海上を何ヶ月も漂っていれば、どこの海だって嵐ぐらい起きる。まともに上陸をさせなかった戦いこそが日本を救ったのだ。

戦国以降は、実は日本は強大な武力を持っていることが知られていたから、あまり危険は無かったと思う。

あとは日露戦争時だが、ロシアは陸軍国なので脅威にはなったと思うが、致命的だったかどうかはわからない。

第二次大戦前後

問題は第二次大戦前後である。戦争を始めた事を批判する人は多いが、私はやむを得なかったと思う。もし日本が大人しくしていれば、何も起こらなかったのか? そんな事はない。相手はあのアメリカである。対メキシコ、スペイン、最近のベトナム、イラクを見れば分かるが、言いがかりを付けては戦争に巻き込んでいる。

既に39年に戦争は始まり、イギリスはナチスによって孤立化させられていた。アメリカは公には参戦はできなかったが、護衛空母や駆逐艦を貸与してかろうじて救っていた。中国にも、義勇軍の名目で真珠湾攻撃より前に、戦闘機部隊を派遣していた(フライングタイガーズ)。この部隊は実際に戦闘したのは真珠湾以降だが、すでに戦闘態勢に入っていた。

軍備についても、ロンドン軍縮条約が切れて、大建艦計画が始動し、大型空母エセックス級20隻ほどや小型空母、護衛空母などの多数の空母の建造が始まっていた。これらの部隊が43年になったら戦場に投入出来る態勢になることは、日米両軍共に分かっていた。B-29が開発されていることも知られていた(試作機の初飛行は38年)。そうなったら日本に勝ち目など100%無い。こんな情勢で、あのアメリカが何をやるか。そんな事は想像が付くことだ。大体、日本が大人しくしてれば戦争は起きなかったと思ってる人は、アメリカをなんだと思ってるのか。そんな紳士的な国だと思ってるのか?(笑)。

あの国は当面の敵はどんな手を使っても叩く。ネイティブインディアンを卑劣な手を使っては攻め滅ぼし、戦艦メイン号の爆沈ではスペインに言いがかりを付けて開戦しフィリピンその他を領有した(その時の合い言葉が、Remember the Maine)。メキシコ領土だったテキサスには独立を宣言させて、その後領土化し、独立王国だったハワイでも白人の居留民に王族を追放させたあと併合した。日本の韓国併合の僅か10年ほど前の事だ。韓国併合を良心的な面持ちで批判する人が、同様にハワイ併合を批判する所など見たことがない。王族は、日本は保護し、アメリカは追放したというのに(関係ないが、ビルマの王族もイギリスによって1885年、インドに追放され貧困生活を送っている。日本の対応の良心的な事。韓国併合の僅か25年前の事だ。)。

日米戦争においては日本に問題があって米側には何の問題も無かったかのような論調を使い、戦後の冷戦についてはアメリカだけを非難する。これはサヨク特有の詭弁である。まるで非難対象国以外は理性的で誠実な対応を取ったかのような図を描くのだ。対立関係では一方の態度に応じて他方の対応も変わる。日本が開戦しなくても、当時の情勢ではそのままでは済まない。昭和16年の時点ではアメリカには戦う気がなかったとしても、その後もずっと同じだとは限らない。軍事的に圧倒的な情勢になれば、アメリカは何かをやったに決まっている。

とりわけ、フィリピンをアメリカが領有していたことは大きい。もし日本が黙っていたまま昭和18年になれば、アメリカはフィリピンを拠点として、空母の大艦隊を日本周辺に遊弋させる事ができる。また石油禁輸あるいは制限が続いていれば、日本に石油の備蓄などなくなっているだろう。完全に日本を締め付け、さらに何か事件を起こして開戦の口実を作ることは容易い。その状態では日本は一方的にやられるだけで、勝ち目はない。絶対にやったと思う(ちなみに、昭和16年、17年時点では、太平洋における日米の艦隊戦力は比較的拮抗している。空母だと日本がやや上。アメリカは東西両面に艦隊を分けなければならなかった)。

で、その場合、これは想像だが、アメリカは領土的野心が無いことを示すために、日本を分割してソ連や中国にも占領させていただろう。そうなっていれば、日本はお終いである。皇室もイラクのフセインのように侮辱されて廃されただろう。開戦は正しかったと思う。実際は日本はアメリカの予想より手強く、カミカゼ攻撃などで肝を冷やさせた。戦後の米軍の統治が比較的良心的で、日本が分割されなかったのは、おそらく、それら兵士達の勇敢な戦いのせいもあるだろう。迂闊なことをやれば、どんな抵抗があるか分かりはしない、と思わせるのは大事なことなのだ。

民主政権については、色々と怪しいことが多いが、情報が不足しているので、次回以降に回す。

以上





テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済

声楽レッスンの記録ーヴォルフ

ヴォルフ「歌曲選集1」より
 メーリケの詩による歌曲集
  眠れる幼な児イエス-Shlafendes Jesuskind・・・分かりにくい曲だが、他のに比べればまだましな方だった。
  祈り-Gebet・・・これは分かりやすい。ただ終わり方がびっくり。最後の肝心の一音を歌わないで終わる。
  新しい愛-Neue Liebe・・・これはほとんど理解不能。特に後半が無理。
  恋人に-An die Geliebte・・・これもかなりな曲。16分音符レベルでシンコペーション?がある。
             小節の中を拍ごとに縦線を引かないと読めないなんて初めての経験。
  問答-Frage und Antwort・・・これも分かりやすい方。

ある意味で深いというのか。ひとの理解を拒否してるような曲にどこまで迫れるかという、何か音楽とは別の能力が試されてるような趣がある。

(これは、元HPの続きで書いています)

テーマ : クラシック音楽
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