『太平洋戦争における人種問題』クリストファー・ソーン著・・・(3)
前のページからの続き。
草思社、1991年発行、市川洋一訳。原題は、"Racial aspects of the Far Eastern War of 1941-1945"by Christopher Thorn,1982。
☆ アジアと日本とその変容
p64・・・1945年の夏、東インドであるフランス人が次のように書いているのも、・・・・・「日本人は一般には敗れたと言われているが、アジアのこの一角では『戦争に勝った』のだ」。
p65・・・ネルーは、・・・・・1946年には、彼らの戦時中の行動を「インド解放運動に対する熱烈な願い」から出た「勇敢な行動」だと称賛しました。
p65・・・ある日本の論者が言うように、なさねばならないことは、西欧化に抵抗することではなく、「アジアのヨーロッパ化をアジア化する」ことだというのでした。
まあ日本の戦後については色々と言われた。日本は決して敗けたわけではないとか。これはどの文脈で言われてたの忘れたが、フランス語系だったかなあ。「アジアのヨーロッパ化をアジア化する」というのは、中々いい思潮だったと思うが。この本を読んでて初めて知った。
しかしながら、アジアの各国の独立的なひとびとも、日本から離反していった。
p68・・・そして、東インドの経済は日本の利益の為に荒廃させられました。
p69・・・マレーのあるインドの指導者は後に次のように証言しています。「日本軍は、われわれにはとても理解できない言葉を喋っている動物のようだった。」
p69・・・オランダ領東インドの場合は、・・・シャフリルの次の言葉は、・・・「・・・この日本人ような野蛮人に今までの植民地勢力の代わりが出来るのだとしたら、そのような権力がなぜ必要だったのか? 代わりにどうして政治を自分たちの手に握らなかったのか?・・・」
p71・・・「アジア」は「アングロサクソン」や「西欧」そのものに対して自己を主張しようとしている、という考えてますます声高に叫ばれるようになりました。
p72・・・中国は1942年3月、「ポンペイクロニクル」から「アジアの未来への希望を担うもの」と・・・ネルーも・・・タゴールに対しては・・・蒋介石もまたネルーあての書簡のなかで、・・・最も西欧的な宋子文はイエール大学で、「アジア」は、「市場や利権の対象としてしか見られないことには飽き飽きしている」と聴衆に訴えました。
P74・・・二つの世界が作られるつつあるのだ。一つは白人の帝国主義的「ヨーロッパ」の世界ーーー底にはアメリカが含まれる。もう一つはアジアとアフリカの有色人種のからなる「従属国」の世界である。
***・・・なんだか、かつての意気軒昂な、しかし時代錯誤的な時代の息吹に触れていやな気がするのだが、要するに、第3世界の養護なのだろうか。あれは破綻したのではないのか。宋子文が出てきた途端に読む気が失せてしまった。「飽き飽きしている」とか、まあよく言うものだ。台湾だけは、アジアのヨーロッパ化をアジアしているのに成功したかもしれないが、それは、死後の話だろう。シンガポールは違うみたいだし。
※ 宋子文は、いわゆる宋3姉妹の兄弟で、宋家を代表してたのだが、戦後は台湾には戻ってないらしい。
☆ 太平洋戦争のもたらしたもの
p78・・・皮膚の色や人種を異にするものに対する関係、態度、期待は、太平洋戦争の間に、そして部分的にはその結果として、かなりの程度変化していたのでした。
p78・・・マージャリー・バーハム博士は1942年3月に次ように述べています。「日本の攻撃によって人種的な関係に革命的な変化がもたらされてた」
p79・・・しかしながら単に反ユダヤ主義だけではなく、白人対有色人種の関係いより大きく注意と情熱が傾けられるようになったのは、極東での戦争を機としてでした。
p80・・・バーハム博士などの見られる当時の人たちの判断のきわ立っている点は、過度の単純化ではなくむしろ、来るべき大きな変化をはっきりと予期し予想してたことであります。
(以上で終わり)
人種的な関係は、実態を伴った変化でしかなかった。一部の人たちはそれを予感したとしても、現実にはそうとはならなかった。ベトナムではその後10年もかけて独立戦争が続く。インドネシアでは5年。もし日本が何もしなかったら、その後も同じだっただろう。プリンズオブウエールズを撃沈したように、具体的に目の前のものを沈めて、初めて起きた事なのだ。
まあこうやって時勢について起きた変化を書いては来たが、やはり実際に起きたことだけが、時代を帰ることが出来る。それは絶対である。どんな変化が起きてもそれjは直接には時代を動かさない。なにか事柄が起きて後動くのだ。
本文は80ページなんだが、このあと、資料の整理だけで30pも続く。大変なものだ。
草思社、1991年発行、市川洋一訳。原題は、"Racial aspects of the Far Eastern War of 1941-1945"by Christopher Thorn,1982。
☆ アジアと日本とその変容
p64・・・1945年の夏、東インドであるフランス人が次のように書いているのも、・・・・・「日本人は一般には敗れたと言われているが、アジアのこの一角では『戦争に勝った』のだ」。
p65・・・ネルーは、・・・・・1946年には、彼らの戦時中の行動を「インド解放運動に対する熱烈な願い」から出た「勇敢な行動」だと称賛しました。
p65・・・ある日本の論者が言うように、なさねばならないことは、西欧化に抵抗することではなく、「アジアのヨーロッパ化をアジア化する」ことだというのでした。
まあ日本の戦後については色々と言われた。日本は決して敗けたわけではないとか。これはどの文脈で言われてたの忘れたが、フランス語系だったかなあ。「アジアのヨーロッパ化をアジア化する」というのは、中々いい思潮だったと思うが。この本を読んでて初めて知った。
しかしながら、アジアの各国の独立的なひとびとも、日本から離反していった。
p68・・・そして、東インドの経済は日本の利益の為に荒廃させられました。
p69・・・マレーのあるインドの指導者は後に次のように証言しています。「日本軍は、われわれにはとても理解できない言葉を喋っている動物のようだった。」
p69・・・オランダ領東インドの場合は、・・・シャフリルの次の言葉は、・・・「・・・この日本人ような野蛮人に今までの植民地勢力の代わりが出来るのだとしたら、そのような権力がなぜ必要だったのか? 代わりにどうして政治を自分たちの手に握らなかったのか?・・・」
p71・・・「アジア」は「アングロサクソン」や「西欧」そのものに対して自己を主張しようとしている、という考えてますます声高に叫ばれるようになりました。
p72・・・中国は1942年3月、「ポンペイクロニクル」から「アジアの未来への希望を担うもの」と・・・ネルーも・・・タゴールに対しては・・・蒋介石もまたネルーあての書簡のなかで、・・・最も西欧的な宋子文はイエール大学で、「アジア」は、「市場や利権の対象としてしか見られないことには飽き飽きしている」と聴衆に訴えました。
P74・・・二つの世界が作られるつつあるのだ。一つは白人の帝国主義的「ヨーロッパ」の世界ーーー底にはアメリカが含まれる。もう一つはアジアとアフリカの有色人種のからなる「従属国」の世界である。
***・・・なんだか、かつての意気軒昂な、しかし時代錯誤的な時代の息吹に触れていやな気がするのだが、要するに、第3世界の養護なのだろうか。あれは破綻したのではないのか。宋子文が出てきた途端に読む気が失せてしまった。「飽き飽きしている」とか、まあよく言うものだ。台湾だけは、アジアのヨーロッパ化をアジアしているのに成功したかもしれないが、それは、死後の話だろう。シンガポールは違うみたいだし。
※ 宋子文は、いわゆる宋3姉妹の兄弟で、宋家を代表してたのだが、戦後は台湾には戻ってないらしい。
☆ 太平洋戦争のもたらしたもの
p78・・・皮膚の色や人種を異にするものに対する関係、態度、期待は、太平洋戦争の間に、そして部分的にはその結果として、かなりの程度変化していたのでした。
p78・・・マージャリー・バーハム博士は1942年3月に次ように述べています。「日本の攻撃によって人種的な関係に革命的な変化がもたらされてた」
p79・・・しかしながら単に反ユダヤ主義だけではなく、白人対有色人種の関係いより大きく注意と情熱が傾けられるようになったのは、極東での戦争を機としてでした。
p80・・・バーハム博士などの見られる当時の人たちの判断のきわ立っている点は、過度の単純化ではなくむしろ、来るべき大きな変化をはっきりと予期し予想してたことであります。
(以上で終わり)
人種的な関係は、実態を伴った変化でしかなかった。一部の人たちはそれを予感したとしても、現実にはそうとはならなかった。ベトナムではその後10年もかけて独立戦争が続く。インドネシアでは5年。もし日本が何もしなかったら、その後も同じだっただろう。プリンズオブウエールズを撃沈したように、具体的に目の前のものを沈めて、初めて起きた事なのだ。
まあこうやって時勢について起きた変化を書いては来たが、やはり実際に起きたことだけが、時代を帰ることが出来る。それは絶対である。どんな変化が起きてもそれjは直接には時代を動かさない。なにか事柄が起きて後動くのだ。
本文は80ページなんだが、このあと、資料の整理だけで30pも続く。大変なものだ。
スポンサーサイト