FC2ブログ

最初のアメリカ人は、アボリジニーだった?

信じられない話ではあるが。→ ページ

fc2blog_2018101202093228a.jpg
>Australian Aborigines, together with indigenous populations in New Guinea and the Andaman Islands, are thought to be descended from one of the earliest groups of modern humans to migrate out of Africa around 60,000 years ago.
オーストラリアのアボリジニは、ニューギニアやアンダマン諸島現地人と同じく、約6万年前にアフリカから移動した、現生人類の最も初期のグループの一つの系統から出たと言われている。

They are thought to have been a sea faring people who were able to hop between the islands that extend from Asia to Australia.
彼らは海上居留民で、アジアからオーストラリアに広がっている諸島間を飛び越えて移動できたと考えられている。

The new findings suggest their descendants may have ranged far further and could have crossed the vast ocean expanse between Australia and south America.
新しい知見は、それらの子孫はもっと遥かに遠くまで広がっていた事、そしてオーストラリアと南アメリカの間の広大な大洋を超えた可能性があることを示している。

However, the researchers say they could have also travelled across ice sheets to the north.
しかしながら、研究者たちは、彼らが北の氷床を渡ったかもしれないとも言う。

Professor David Reich, a geneticist at Harvard Medical School who led the study, said: 'It's incredibly surprising.
この研究を指導したハーバードメディカルスクールのデビッドライヒ教授は、”これは信じがたいほどに驚くべきことだ”という。

'There's a strong working model in archaeology and genetics, of which I have been a proponent, that most Native Americans today extend from a single pulse of expansion south of the ice sheetsf—and that's wrong.
考古学と遺伝子学には強力なワーキングモデルがあり、私もその提案者であったのだが、今日のほとんどのネイティブ・アメリカンは、氷床から南方への展開のたった一度の脈動から広がったと考えられて来たーそれは間違ってたのだ。

'We missed something very important in the original data.
もとのデータで何か重大なミスをしていたのかもしれない。

About 2 per cent of the ancestry of Amazonians today comes from this Australasian lineage that's not present in the same way elsewhere in the Americas.'
こんにちのアマゾンの人々の先祖の約2%がオーストラリアの系統から来ている。そしてそれはアメリカの他の場所では同じ形では残っていない。



要するに、ヘーリング陸橋は1万4千年前から溶けはじめ、1万2千年前から、ユーラシア大陸の人や動物が流入し始めた。しかし、南米には4万年から5万年まえの、人間の頭蓋骨や石器がある。モンゴロイドは9千年から7千年前にjは両大陸を制覇した。しかし、南米の最南端のフエゴ島にはアボリジニは残っていた、ということらしい。


これとか → サイト
>Native Americans living in the Amazon bear an unexpected genetic connection to indigenous people in Australasia, suggesting a previously unknown wave of migration to the Americas thousands of years ago, a new study has found.

>アマゾンに住んでいるネイティブ・アメリカンは、オーストラリアの土着の人々と意外な遺伝子的関係を持っている事が、最新の研究でわかった。それは数千年も前に、未発見のアメリカへの移動の波がすでにあったということを示唆している。

>In the ensuing millennia, the ancestral group has disappeared.
>その後数千年の間に、その先祖のグループは姿を消してしまった。


(追記13日)
面白い話だなあ。本当なら、色んな影響があるだろう。
まず、アボリジニの評価。一部地域に残ってた遅れた種族というイメージから、人類の先陣を切って世界に広がっていった先覚者という事になる。それも太平洋を横切った、最初の人たちという事に。これは、ポリネシアンにさえ出来なかった事なのだが。

かつてコン・ティキ号漂流記というのが読まれたが、これは南アメリカの方からポリネシアに出向くという実験だった。多分、学術的評価はされなかったのではないかと思うが、やっぱり直接的な交渉はあったという事になる。

あとアンダマン諸島人のこと。実は日本人にとって大きな話になるが、Y染色体ハプログループが、日本人、チベット人、アンダマン諸島人は共通してるらしい。Dという遺伝子でこれらに限られるとか。もしかしてアマゾンにもいるかも。アマゾンのグループの中には、まだ文明と接してない部族がいるはず。ぜひ調べてほしいと思う。

スポンサーサイト

テーマ : 人権
ジャンル : 政治・経済

空母「隼鷹」について、南太平洋海戦

39年に橿原丸として郵政局用に作られたが、後に空母に改装され、結構な活躍をした。とりわけ、南太平洋海戦では、瑞鶴とともに、アメリカの空母ホーネットにトドメを指した。

この攻撃では、ウィキによると、
午前7時に第1次攻撃隊29機(指揮官志賀大尉:艦爆17機、零戦12機)。失ったのは、艦爆11(自爆9、不時着2)
午前11時13分、第2次攻撃隊(艦攻7機、零戦8機)。失くしたのは、零戦2機が行方不明・3機が不時着、艦攻2機が撃墜。
午後1時35分、第3次攻撃隊(艦爆4機、零戦6機)。全機帰還。

最後の攻撃では、パイロットがまた出るのかと驚いたらしい。実質的に攻撃可能なのは、4機しかなかったのだから、そうだろう。まあ、こうやって、日本人は戦争を戦った。
改装空母であるが、飛龍蒼龍などと遜色はなかった。スピードは出なかったが。最後まで沈むことなく、大きな作戦に参加した空母としては、唯一終戦を迎えた。日本は実は空母は余っていた。航空機が足りなかった。



昭和17年末では、アメリカの空母は、サラトガとエンタープライズだけで、実質的に作戦はできなくなっていた。しかし、ほとんど同時に新たな空母群が現れる。エセックス級空母がそれ以降、次々と出てくる。これで逆転してしまうのだが。しかし、アメリカは戦場には出して来なかった。1年半後まで。

よく日本はミッドウエーでやられたと言うが、私はむしろ、昭和19年のマリアナ沖海戦だと思う。腰が引けていた。新米のパイロットに、長時間飛行させて攻撃させ、空母を遠くに守る形にした(アウトレンジ戦法)。これが失敗だった。アメリカだって、新米主体だったのだ。戦艦を前において突っ込むべきだった。刺し違える形で。向こうだって怖かったのだ。なのに遠くから出して、待ち構えられてほとんど全てを失った。これで日本は決定的に敗れ、次のレイテ湾海戦では、特攻を使うことになる。→ ページ

テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

連合軍のドイツ兵に対する残虐行為

このサイトでは、連合軍の日本兵に対する残虐行為などを書いてきたが、ドイツ人に対しても相当やっていたらしい。
以下、全て閲覧注意。


まあ、戦後のソ連の増長に関しては、アメリカに責任がある。ソ連の勝利は、アメリカの援助なくしてはあり得なかった。機関車8千両(援助前は100両以下)、トラック20数万台とか送っている。ソ連軍の集散が早かったのはそのおかげ。特にスターリングラード以降。3流国なのに、異様に速い。日本についても同じく中国を支援したし。アメリカは、図体がやたらにデカイのに勘違が激しい。

中で、リンドバーグについて述べられてるが、この人はかなり聡明な人だったらしい。前にも太平洋戦線関連で書いたが(→ページ)、はっきり事実を書こうとしている。あの英語の原本を持っているのだが、ちょっと膨大すぎて探せない(笑)。こういう人は貴重だ。


戦後の、東欧でのドイツ系の一般市民への迫害。

トラックに生きたまま轢かせるとかよくやるよ。日本人ならそこまではしない。まあ恨みつらみが籠もってたのだろうけど。
戦後のこのゲルマン系市民への迫害で300万人が死んだともいう。ちなみに、日本での戦争の犠牲者の最大数の推測.がその程度。

前にも紹介した(→ページ)、「丸刈りにされた女たち」という本で書かれた女性の映像。

万のオーダーで居たというのは、本当だったんだな。







テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

パラオ・ペリリュー島での激戦

ペリリューの戦いは、硫黄島と同様非常に激しいものだったのだが、あまり知られていない。日本側がほとんど全員死亡し、また島民が居なかったせいらしい。19年9月~11月、更には、22年4月。上官が居なくても戦うのは、日本人だけだというが。



サクラサクラ(泣)

閲覧注意






両陛下来島



テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

マレー沖海戦のシミュレーション映像による再現

日本軍は、シンガポール攻略のためコタバルに上陸、これを迎え撃とうとするイギリス東洋艦隊のプリンスオブウエールス、レバルスを撃滅するため、航空機による戦艦攻撃を行い、見事に成功した。アヘン戦争以来101年のことであった。





戦史上初めての航空機による、行動中の戦艦への攻撃、撃沈であった。それ以前にも、航空機による攻撃はあったが、付属的、あるいは戦闘時ではなかった。
その前の年の11月(1940年)、イタリアのタラント空襲をおこなったイギリスは、湾内にいたイタリア戦艦3隻へ数発の魚雷を見舞った。沈没はしなかったが、修理に手をかけさせた。
この年の5月(1941年)、ビスマルクにアークロイヤルとヴィクトリアス搭載のソードフィッシュ機が攻撃をしかけているが、撃沈したのは、艦隊戦だった。

このくらいなのかな。

テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

「戦神」と呼ばれたのは日本の将軍根本博だったのか、金門島の戦い

金門島の戦いに日本人が参加していた、というエピソードを巡る物語。


俄には賛成はできないが、状況証拠的には言えるらしい。

別の視点から


「この命、義に捧ぐ」門田隆将氏 講演会

テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

アラブと朝鮮の奇妙な類似・・・現代史において

最近思ったのだが、中東のアラブと朝鮮は色々と似ている点がある。民族の内実ではなくて、外形的な歴史で。

1.アラブはトルコ領から第一次大戦後、英仏の支配(国際連盟の委任統治)を経て独立、朝鮮は日本領から第二次大戦後、米ソの支配を経て独立

2.独立は自力でのものではなく、他国に援助されてのものだった

3.他の植民地のように収奪や奴隷扱い、虐殺などの対象となっていない

4.にも拘らず、旧宗主国への恨みが大きい

5.国内サヨクがしきりに持ち上げ、その恨みを当然のものとしている


現代史を見ててイラツクことの双璧かもしれない。とにかくサヨクによる歪曲が酷すぎるわけだが。なんでそこまで持ち上げるのか、擁護しないといけないのかと。アラブも朝鮮も、遅れていた民族としては極めて厚遇されている。他の民族が虐殺され奴隷扱いされてる時に全く真逆の待遇を受けている。なのに文句ばかりを言い続ける。

アラブに関してはよくイギリスの二枚舌外交の被害者であったかのような言い方をされるが、仮にイギリスが独立をさせてないならそれは言えるだろうが、フランスと共にちゃんとあの辺り一体を独立させたのだ。文句を言われる筋合いはない。前にも書いたが(→ ページ)、3つの宣言・条約に関して特に矛盾もないようだ。イスラエルを独立させたのは戦後の国連だし、英仏やユダヤ人が勝手に占領して独立したのではない。イギリスもその建国の約束はしていない。この辺りはものすごく歪められているようだ。そもそも英仏は中東支配においてなんの利益もえていない。それどころか、後にスエズ運河をエジプトに奪われてる。何の企みもなく一方的な独立援助をしただけである。

二枚舌というなら、20世紀始め、フィリピンで起きたアメリカとスペインの間の戦いで、アメリカはフィリピンの独立軍に独立の約束をしてスペインを攻撃させていながら、アメリカの勝利後はその約束を反故にし、独立軍の掃討をして、20万も殺したらしい。こちらこそが二枚舌だろう。なんで中東に関していうのか、全く不当な言い掛かりである。

朝鮮半島も、日本によって学校4千校を作ってもらい、女子にも教育の機会が与えられ、奴隷制を廃止され、道路水道病院などの近代国家としての基礎が築かれている。それまで汚れた川で洗濯したり飲水にしたりといった不衛生な状況から大きく脱して(W.バードの「朝鮮紀行」参照)、人口も2倍に増えてる。虐殺とは真逆だ。日本風氏名を強制されたなんてまったくのウソで、単に日本人のふりができて中国なんかで大きな態度が取れたというメリットしかない。今もやってるが(笑)。朝鮮名のまま、日本陸軍の将軍になった人さえいるのに。

かつて、日本は朝鮮に良い事もした、なんて発言をして大臣を止めさせられた人がいたが、可哀想な話だ。日本は朝鮮に良いことしかしてないのだが(笑)。強制連行なんて真っ赤な嘘だし。全てが、募集と応募でしかないのは、彼らの書いた「朝鮮人強制連行の記録」という本を見ても明らかだ。原文がそうなんだけど、なぜか強制連行だって事にしてる。

2.の自力での独立ができなかったのが、却ってそういう方向にねじれた原因かもしれない。ベトナムやインドネシアのように何年もの戦いの後の独立ならば、満足できたのだろう。しかし、彼らはそれをやろうとはしていない。常に強者に屈服していた。

3.に関しては説明の必要もない。大規模な虐殺は起きていない。むしろ、朝鮮戦争の時期に韓国政府が済州島などで自国民に対して起こしている。戦後朝鮮人が日本に来たのもその影響が大きい。これについては、いわゆる軍艦島で奴隷労働をさせられたなんて話を日本政府が飲んだのはまずかっただろう。たかが世界遺産のために譲歩してしまった。慰安婦問題と同じミスだろう。

上のフィリピンの虐殺と同じ頃、インドネシアにおいても、オランダに従わなかったアチェ地方に対して、オランダ軍は10万規模の虐殺をしている。こういった事は当時世界中であったのであって、良いことではないが、普通であった。しかしアラブも朝鮮もそれはされていない。

4に関しては、まあ、民度が低いからって事と、恨みをぶつける相手が他にいないからだろうか(笑)。

問題は5である。
戦後サヨクは歴史を徹底的に歪曲した。中東に関しては、おそらく戦後のアラブ諸国がソ連側についたので、イスラエルや欧米を貶める必要があったのだろう。朝鮮に関しては言うまでもない。ちなみに、80年代までは韓国は悪魔のようにみなされたが、90年代になったらいきなり好転している(笑)。89年に社会党と韓国政府との間に相互交流が行われ関係が変わった。これはおそらく慰安婦問題での共闘のためだろう。HPの「なぜ慰安婦強制という捏造がおこなわれたのか」のページ参照。

サヨくの捏造は主に80年代が多かった。慰安婦、731舞台、靖国神社問題、サハリン在住朝鮮人問題他。
しかし、戦後直ぐに行われたものもある。
それはGHQの日本人洗脳工作の尻馬に乗って行われた。(GHQの洗脳工作については、江藤淳氏の3部作がある)

例えば、「日本は竹槍でB29を落とそうとした」とか。当時そんなことを考えた日本人などいるわけがない。たったの一人もいないはず。何しろ、戦闘機でさえ登って行くのが難しい高度を取っていたのだ。これは、毎日新聞1944年2/22の新名丈夫記者が書いたコラム「竹槍では間に合わぬ飛行機だ、海洋航空隊だ」というコラムのタイトルのを逆手にとったものだろう。このコラムは、タイトルどおり、損耗の激しい海軍機をもっとつくれ、海洋の戦いで雌雄を決せよ、といった内容のものであって、タイトルはいわゆるレトリックであって、読者の目を引くたのものである。当時航空機の予算は陸軍と海軍で折半されていたので、もっと海軍機を増産せよといった内容である。このためにこの記者は陸軍に睨まれ、懲罰召集をされている。後に海軍に救われて報道班員になっている。

しかしまあ、こんな事はちょっと考えれば分かることなのになんでこんなものを信じたのだろうか。竹槍では模型の飛行機でさえ多分おとせない。紙飛行機だって無理かもしれない(笑)。しかし、サヨク連中は信じてたらしい。ちなみに、この記事が書かれた直前に、日本の連合艦隊が長年本拠地にしていたトラック島を失い、6月にはB29による初空襲が行われている。ミッドウエー以上の致命的な敗戦を喫するマリアナ沖海戦も6月。

もう一つ、朝鮮戦争に中国が参戦した理由として、「国連軍が中朝国境に迫ったから中国は参戦した」なんて説明をしているがこれもウソである。中国は国連軍が38度線を越えた時点で、参戦を決定している。
金日成は戦争前にスターリンや毛沢東にあい、戦争への協力を要請した。しかし、どちらからもいい返事はもらえず、スターリンからは反対された。しかし当時韓国には数百人の米軍しかいなかったので勝てるとみて攻め込んだが逆襲されて押し返された。そして、国連軍が38度線を越えた時点で、毛沢東は参戦を決断、部隊を北朝鮮領内に進入させはじめた。道路は使わず山中を夜間に進軍という形で南下していき、北上する米軍をやりすごして、背後に周り包囲するという作戦をとった。最初の衝突は長津湖で起きたが(場所は、→ 長津湖)、北朝鮮の中部と行っていい場所である。ここであの米軍第1海兵師団の撤退戦が行われている。とにかく、戦後サヨクというのは、社会主義国の擁護をし続け、敵対勢力は貶め続けた。それが一つの政治勢力としてやったのならまだいいのだが、メデイアを支配していたために、それが真実であるかのように広まってしまった。今後は全てを否定していく必要がある。

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

オバマとプーチンの人間性・・・ノルマンディー上陸記念式典で

映像そのままの紹介になってしまうのだが(笑)、ページにおいておかないと忘れるので備忘録として。


2014年に行われた、ノルマンディー上陸70週年記念式典における映像。

原爆の映像が出て、ダンサーたちはストップモーション
kaku2.jpg

ガムを噛みながら拍手するオバマ
obama2.jpg

沈痛な表情の首脳たち
shunou.jpg

十字を切るプーチン
putin.jpg

まあ、この一瞬でどうというのもいけないだろうけど、こういう所に本性ってものが出るのではないのだろうか。
どうも、前からオバマってのは気にいらない。中東やウクライナをおかしくした責任の一端、あるいは相当な部分があるだろう。南シナ海で中国が好きにやってるのも放置してるし。戦えとは言わないが、世界で警察的な行動ができるのはアメリカしかいない。なのに無責任に対応してきた。そういう性格がこういうところにも出てるのではないだろうか。

プーチンは強面ではあるが、非常に現実的な政治家だろうと思う。北方領土交渉では譲らなかったが、国内的な立場もあるだろうから、そう軽々しくはできないのも分かる。トランプと上手くやってくれればいいと思う。中国などよりはるかに信用できる。まあ、ロシア民謡を楽しんで、しかも規律正しく歌う民族だから、信用していいような気がしてるのだが(笑)。

テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

樋口中将のユダヤ人救出、肥沼医師のドイツでの治療活動

戦前戦中の日本人、とりわけ軍人の行為は、悪い、愚かしいという前提で語られることが多く、普通に見て立派な行為だろうと思われる事でも、歪められたり無視されたりしている。駆逐艦「雷」の艦長工藤中佐によるイギリス水兵救出などもそうだろう。戦後、GHQ史観をそのままサヨク集団が受け継いで日本人を洗脳していった。これは全てを否定してかからないといけない。あのインパール作戦でさえ、公平に評価をしなおすべきだろう。歪んだ評価しか受けていないと思う。また一方で、連合軍の残虐行為は全て無視、あるいはなかったことにされているが、これもおかしい。この件に関してはリンドバーグが記録を残している。→ そのページ。

満州でユダヤ人数千人を救った樋口中将と、戦後の混乱したドイツの田舎町でチフス患者の治療に専念して倒れた肥沼医師の動画をたまたま続けてみたので、まとめた。


樋口中将についてはあまり知らなかった。終戦時は北海道の守備軍司令官だったとか。そしてあのソ連軍の侵攻を阻止したらしい。当時は陸軍の中枢は機能しておらず、独断での行動だったとか。日本が分割されずに済んだのはとてつもなく大きな事だ。これは米軍の好意、あるいは戦略という面もあるとは思うが、この人の行動がなかったら、今の北方領土と同様、既得権としてソ連のものになっていただろう。また高位の将軍であったにも拘らず、戦犯の追求を受けなかったのは、アメリカのユダヤ人団体の意向があったからだとか。


肥沼医師については全く知らなかった。戦時中ドイツに留学していて、放射線治療の研究をしていた。そして、東欧方面からのドイツ人帰還者の治療にあたったらしい。特にチフス患者が多く、身を呈して治療にあたったとか。費用は受け取らなかったらしい。そして最後は自らチフスに罹患して亡くなった。世の中には立派な人がいるものだ。こんな人達に比べれば、戦後のサヨク、「進歩派」などの連中は唾棄すべき存在だろう。

工藤艦長についての映像もあった。戦場で艦艇を止めて救助するのは極めて危険な行為であるだろう。

己を語らず。それはいい言葉ではあるのだが、戦後、サヨク集団の逆宣伝の踏み台となった。外国やサヨク集団に対しては、過去の日本の倫理は通用しない。このように表面化しなかった例は他にもあるのだろう。

(2017/9/9追記)
この時のスラバヤ沖海戦で撃沈され後に福岡で戦後まで過ごした兵士の遺族が、親しかった少年を探しに来たというニュースが西日本新聞に出ていた。工藤中佐が救った兵士かもしれない。→ 魚拓
(追記終わり)

※1 戦前に東欧に移住していたドイツ系住民が、戦後その地を終われドイツに帰還するのだが、その過程で300万人が殺されたという。もちろん、これは推定であって、確かな数値など求め様もないが、まあ、それに近い事態はあったのだろう。

※2 私は戦記物を子供の頃からよく読んできたが、それらの本はほとんど全てが、日本の戦争は間違っていた、愚かしかった、悪かった、という前提で書かれていたと思う。いかに日本の戦争指導が酷かったか、愚劣だったかという事を執拗に書いていた。もちろん、私も当時はそう思ってた。しかし、英米側の記録や他の戦争ものを読んでいるうちに、それは違うのではないかと思えてきた。

例えば、戦国時代についての歴史書で、織田信長は美農や畿内を侵略し罪もない民衆を殺し、間違った戦争を行った悪の存在だ、などとかいているものはないだろう。小説などはまた別だが。どんな国や将軍についてもそれはないだろう。よほど残虐なケースでもない限り。そしてそのような公平な書き方は、おそらく第一次大戦辺りまでについては続く。ところが、第二次大戦辺りからそういう公平な書き方は消えていき、価値観の表明が表立って行く。左翼勢力の歴史観が押し出されてくる。とりわけ日本の戦争については、日清日露あたりから、日本の侵略戦争で間違っていた、アジアの人民を苦しめたものだったなどというものが出てくる。主観的な評価が歴史書の中に入ってくるのだ。それは2つの方向からだろう。1つは日本が白人の支配に対抗したこと、もう一つはサヨクの視点からである。戦前の歴史は欧米が正しく日本は間違い、戦後の歴史は共産側が正しく欧米日は間違い、というのが前提としてある。

私は、あの開戦はむしろ良かった、戦わないよりは良かったと思っている。それが正しいとか正しくないとかではない。あの時期しか戦うタイミングはなかっただろうと思う。そして、それを逸したら、さらに酷い未来が現れただろうと思ってる。人はあの結果だけを見て、開戦は間違っていたというが。

一応、そう考える理由を書いておく。
1.まずアメリカは必ず日本に戦争を仕掛けただろう、という事がある。それはアメリカの歴史に現れている。メキシコ、スペイン、ベトナム、イラク。なんらかの理由を付けて開戦している。当時イギリスは欧州で孤立していた。アメリカが参戦する以外に処理のしようなない事態だったし、事実上、補給や義勇軍でアメリカも既に参加していた。

2.アメリカは当時大艦隊を建造中だった。正規空母20隻以上。軽空母、護衛空母、数十隻。これらは昭和18年には戦場に出てくる事は分かっていた。ちなみに、B29の試験機も1938年には飛んでいた。昭和16年当時は、太平洋に関しては日本軍がやや優勢である。

3.当時、日本は石油の禁輸を受けていた。2年も放置されれば、国内からは石油は消えていただろう。

4.あまり注意されないことだが、フィリピンはアメリカの占領下にあった。いつでも南方との連絡を絶つことができた。

5.その状態でケンカをふっかけられたら、日本に勝ち目はない。一方的に破壊され占領されただろう。

6.問題はこれなのだが、その場合、アメリカは他の民族支配と同様の占領政策を取っただろう。ハワイ王朝を潰し、イラクのフセインを晒し者にした。それと同様にしただろう。日本は新大陸の民族同様の扱いをうけただろう。日本文化、民族は消滅に近い状態になっただろう。他国に分割占領を許したかもしれない。

7.戦った結果、日本を軽視できないという実感を与えた。戦後の米軍の占領政策が比較的良心的だったのは、そのせいだろうと思う。それは、オーストラリア、ニュージーランドでの、マオリ族とアボリジニとの扱いの差にも現れてるかもしれない。勇敢に戦ったマオリ族は一定の地位を取れたが、アボリジニはずっと虐殺の対象となった。

日本が開戦をしなかったら平和が続いただろうというのは幻想にすぎない。戦争を仕掛けなければ仕掛けれる事はない、などと考えるのは馬鹿げた話だ。世界史をみれば分かることだが。第2次大戦の経験だけで、戦争を語るのは間違いだ。なぜなら、それは日本に起きた特殊な事例に過ぎないから。世界史においてはそれは一般則ではない。愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ、という。これもその一種だろう。

続く

テーマ : 戦争
ジャンル : 政治・経済

パレスチナがイギリスに謝罪を要求・・・アラブは一方的な被害者なのか

戦後の中東諸国の扱い方には疑問を感じる事が多い。英仏は中東諸国の独立を支援した側なのだが、なぜか一般的に、アラブは英仏の利益追求に翻弄された可哀想な犠牲者であるとするような報道が多い。彼ら自身もそう思ってるとこの報道で知ってちょっと驚いた。自分らで独立できなかったのを人のせいにするとは。

バルフォアっ宣言から100年になるのを期に、パレスチナ暫定自治政府のアッバス議長が、イギリスに対して謝罪と国家としての承認を要求したらしい。→ 魚拓

第一次大戦まで、中東地域はオスマントルコの支配下にあった。トルコと戦った英仏は、トルコの背後を撹乱することを目的に、アラブ人たちに独立の約束をして反乱を起こさせた。あのアラビアのロレンスがまさにその象徴的な存在である。そして、この事態には3つの協定、宣言が絡む。

1915年10月 - フサイン=マクマホン協定(中東のアラブ独立・公開)
1916年5月 - サイクス・ピコ協定(英仏露による中東分割・秘密協定)
1917年11月 - バルフォア宣言(パレスチナにおけるユダヤ民族居住地建設・公開)


よく二枚舌、三枚舌外交とかいって糾弾されるが、そもそも、他民族の独立に誠心誠意、純粋な善意でやる義務など無い。費用と兵士の命が掛かってるのだ。そんな事は自国の国民に対する背任行為だ。独立だって、アラブ人達が望んでいた事だ。お互いの利益になるものであって、一方的に英仏の利益が貫徹されたわけでもない。英仏の支配はせいぜい20年かそこらだし。

またこれら3つの宣言は矛盾してるとよく言われるが、そうでもないようだ。マクマホン協定では、地中海沿岸のパレスチナやレバノン、シリアは含まれていない。だから、イスラエルを建国するのは矛盾しない。
サイクスピコ協定は、イギリス、フランス、ロシアの勢力範囲の取り決めだが、確かに統治などはしたが、結局は独立させてるわけで文句を言う筋合いもないだろう。
で、バルフォア宣言は、ユダヤ人居住区の設定。これはアラブ側からしたら背反だろうけど、文意としては矛盾しないようだ。この時点ではあくまで「居住区」の設定であって、イスラエルの建国は戦後の国連の決定によるし、そもそも、この地域はマクマホン協定に入っていない。またその間にはナチによるユダヤ人殺戮が入ってくるので、状況としても変わる。

こういった状況で、中東地域は、オスマントルコの支配から、英仏露の勢力下に入り、国際連盟による委任統治を経て次々に独立する。

1922年 - エジプトがイギリスから
1925年 - イランがイギリスから
1932年 - イラク王国がイギリスから
1932年 - サウジアラビア王国が成立(各部族の闘争の結果、イギリスが承認)
1943年 - レバノンがフランスから
1946年 - シリアがフランスから
1946年 - ヨルダンがイギリスから
1948年 - イスラエルがイギリスから
1961年ークウェートがイギリスから
1971年 - バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーン、 バーレーンがイギリスから


ベトナムやインドネシアと違って長年に及ぶ独立戦争はせずに済んだのだ。感謝すべきだろうに。ベトナムで約10年、インドネシアは5年も戦って独立を達成している。なんでこんな状況で英仏を恨むのだろうか。国境線の線引きがどうとか言う向きもあるが、じゃあ、アラブ人に任せてすんなり行ったのか。100%あり得ない。混乱が続いただけだろう。なんでも自治でできるというのは幻想だ。今の状況をみると、戦後の独立ブームにはむしろ疑問符を付けたくなる。また、この過程でいわゆる独立戦争は中東では起きていない(と思う)。いくらかの騒乱はあっただろうけど。

問題はむしろ、アラブ側による、イスラエルへの侵攻である。イスラエルの独立は戦後の国際連合によって決められた。英仏が勝手に決めたわけでも、ユダヤ人が勝手に入ってきて占領したわけでもない。この辺りは、かなり誤解があるような気がする。多分日教組なんかの影響だろう(笑)。私自身、中高の頃はそんなイメージを抱いていた。

ちなみに国連での決議直前のこの地域の人口比(wikipedia)

       アラブ人と      その他ユダヤ人
帰属     人口 国内比率  人口 国内比率 人口合計
アラブ国家 725,000 99%   10,000  1%    735,000
ユダヤ国家 407,000 45%   498,000  55%    905,000
信託統治 105,000 51%   100,000  49%    205,000
合計   1,237,000 67%   608,000  33%    1,845,000
1947年9月3日に提出されたUNSCOPの報告書の第4章 A COMMENTARY ON PARTITION より臨時委員会


確かにアラブ人よりは少ないが、60万ほどいた。かつての故地なんだから居て当たり前ではあるが。エルサレムにも10万人のユダヤ人居住区もあった。これが日本だと、ユダヤ人が全くいない地域に最先端の武装で身を固めたイスラエル兵士が攻撃をしかけ、貧しいアラブ人たちを殺戮して占領するといったイメージの人が多いようだ(笑)。テルアビブ空港に特攻した岡本公三なども、そんな思い込みがあったのではないだろうか。実態はその逆であったのだが。

国際連合の決定に異論があるというのなら、もはや話し合いの余地などない。何をか言わんやである。戦後世界は国際連合が決めたのだ。嫌も応も無い。従うしか無いことだ。しかも、イラク、レバノン、シリアなどは国家としてこの決議に参加しながら、決定を受け入れていない。その事の方がはるかに問題だろう。まるで今の日本の野党である(笑)。多数決を否定しておいて、「民主主義とはなんだ」とか叫んでるし。

ArabIsraeliWar.png
1947年11月に国際連合でパレスチナ分割決議が承認され、翌年5月14日にイギリスは撤退、15日から独立という事となった。そして、その真夜中、15日の深夜零時を期して、周辺のアラブ諸国から一斉に軍隊が侵攻してきた。この地域では独立戦争は起きずに、独立後の違法な侵略が起きるという異常な事態となった。まるで、自衛隊が成立する前に竹島を占領した韓国である。

周辺諸国は国家が成立していたために、軍隊があり戦車や航空機をもっていたが、イスラエルには何もなかった。政府組織や軍隊組織さえなく、各地のゲリラ部隊が、ライフルと火炎瓶、一部大砲を使って戦った。戦力比は、アラブ側15万、イスラエル側3万である。そして、信じられない事に、イスラエルが勝った(笑)。当初は、国家が成立していないために、外国からの援助も一切受けられずに戦ってる。不思議な戦争であった。

ちなみに、「中東戦争全史」(田上四郎)によれば、5/14の時点での兵器は
             戦車     装甲車   野砲・高射砲  戦闘機爆撃機
アラブ          40    200      360       74
イスラエル        1     2        29        0

確か、イスラエル側の戦車装甲車というのは、フランスのゴミ捨て場から拾ってきたもので、実戦には使えていない。


まあ、この辺りの話はこの問題とは話がずれるが、中東のアラブ諸国は実に幸福な独立をしたのだ。なんで文句を言うんだか。

ただ、パレスチナに関しては同情の余地はある。48年になっても独立できなかった。それはイスラエルのせいというよりは、周辺アラブ諸国のせいだろう。周辺諸国は第一次中東戦争の結果、パレスチナの領土を勝手に占領した。ヨルダン川西岸やガザ地区は、周辺諸国によって占領された。この状態はその後もずっと続く。イスラエルも占領はしたが、それは攻撃された側の当然の権利である。侵攻した側が何らかの謝罪、講和、賠償をしない限り返す必要などない。そしてアラブ側はそれをせず、パレスチナを放置した。

だから、恨むのなら、そういったアラブ諸国だろう。国連の決定を受け入れて、戦争をせずにパレスチナ国家を作れば良かったのだ。そして、国力を蓄えて、その上でイスラエルを攻撃するなりすれば良かった。方針の間違いである。


☆ 戦後の中東やパレスチナ問題に対する国内サヨクの対応

全体を総括できるわけではないが、これにはかなりの問題があったと思う。しかも、最近では殆ど言わなくなって放置状態にしていて二重に無責任である。

日教組もメディアも中東の戦後、とりわけ、中東紛争についてはまともな説明をしてこなかったと思う。せいぜい、欧米やユダヤ人の被害者ということしか言ってこなかった。

例えば、ヨルダン川西岸について。私はこれがなんなのか学生時代にはよく分からなかった。ヨルダンじゃないらしい。じゃあ、なんなのだ。これについてまともな説明を教師から聞いたことはない。これは要するに中東戦争のドサクサにまぎれてヨルダンが勝手にパレスチナの地を占領していたのだ。これこそ不法な占領である。しかし、そんな説明など聞いた事がなかった。

中東戦争の発端。これもまともには説明されていない。細かな話ではあるが。
まるで、一方的にイスラエルが起こしたかのような説明であったようだ。第4次まである戦争だが(これにカウントされない紛争もあるが)、4回とも全て、アラブ側のアクションによって起こっている。
第一次は、上に書いたように、全周囲からの奇襲攻撃である。
第二次(スエズ紛争)は、エジプトのスエズ運河領有宣言によって起きた。
第三次は、戦いを起こしたのはイスラエルだが、その前に、エジプトがチラン海峡を封鎖し、攻撃の姿勢を見せていた事に対してイスラエルが予防的に起こしたものだ。
第四次は、エジプトの完全な奇襲攻撃で、さすがのイスラエルも意表を突かれ押されたが、最後にはエジプト本土にまで押し返した。

そして、あの有名な、デイル・ヤシーン村虐殺事件(1948/4/9)。国連決議からイスラエル独立の間の紛争状態に起きた事件。イスラエルの悪辣さを代表する事件として、かならずと言っていいぐらいサヨク側から名前を挙げられる。イスラエルはこれほどに残虐だと批難の材料に使われた。中東戦争はここから始まったかのように言う人さえいる。しかし、それは違うのだ。理由は3つ。

1.まず、20年代から双方のお互いへの攻撃はずっと続いていたということ。アラブ側過激派も相当な事をしている。
2.犠牲者は百人台前半のようだが、その程度の虐殺など、世界中で起きてる。いいとは言わないが。オランダはインドネシアアチェ地域の反乱に対し、10万人規模の殺戮を行い、一村皆殺しなどをやっている(20世紀初め)。
3.最も大事なことで、なぜか言われない事だが、実はこの事件には背景があった。エルサレムのユダヤ人居住区10万人に対する、アラブ側による包囲と、給水停止である。ユダヤ側はこの地区をを救おうとする作戦を起こし、その過程で起きたものである。良いとは言わないが、10万人の命がかかっていれば、あせるのもしょうがないだろう。

1.については、上記田上本から例を上げれば(無数にあるけれど)、
「2月22日はエルサレムの数カ所のユダヤ人アパートが破壊され、50人の死者と70人以上の負傷者を出した。」
「47年12月30日ユダヤ人のテロリストが山頂から谷地のアラブ人部隊に爆弾を転がし、アラブ人の死者6名、負傷者47名をだした。その報復としてユダヤ人労働者41名が、殺された」


3.については、
「ナチソン作戦・・・この(エルサレムの)10万余のユダヤ人の生活物資は、テルアビブからエルサレム道を通って補給された。飲料水はテルアビブ東方の20kmにある井戸からポンプによって給水された。この補給路がアラブ人によって閉塞された」
この状況を打開するために作戦が、ナチソン作戦。
で、その2都市を結ぶ道路を見下ろす高地にこの村はあったのだが、
Over the next few days, the Jewish community at Motza and Jewish traffic on the road to Tel Aviv came under fire from the village. On April 8, Deir Yassin youth took part in the defence of the Arab village of al-Qastal, which the Jews had invaded days earlier: (英語wikiより)
その交通路がデイルヤシンの村から戦火を浴び、またその村の若者達が戦いに参加した、という状況があった。
またこの事件の報復として、数日後、ユダヤ人側の医師、看護婦77人が殺されるという事件が起きてる。

この事件を取り上げて深刻そうに語る人は多いだろう。まるで自分のヒューマニストぶりを誇るかのように。しかし、それはただの無知なのだ。とにかく対立関係がパレスチナ全土で高まってたのだ。何も起きてない平和な村がいきなり襲われたなんて状況ではない。そもそもそんな事をする理由もない。南京事件捏造と同じナンセンスだ。この辺りをサヨクは歪曲して一方的な宣伝をして、下部の信者たちはそれをそのまま信じる、という状況が日本の戦後では続いてきた。

日本の国内サヨクにムカつく理由はいくつかあるが、この何も考えず、ただ上からの説明を盲信して、その言葉をそのまま繰り返すという知性の欠片もない反応も大きい。彼らは何か真相を知ってるかのような態度を取るが、そうではなく、ただ上からの説明を信じてるだけなのだ。それなのに、いかにも真相をしっているかのような態度を取る。それが許せない。ジョージオーウエルの「動物農場」で、反乱を起こした動物側が、"two legs bad,four legs good(二本足は悪い、四本足は善い)"と唱えるのと何も変わらない。知性が凍ってしまった集団というのが許せない。自分で調べもせず、考えもしないのがこういった連中なのだ。




続く




テーマ : 中東問題
ジャンル : 政治・経済

プロフィール

kifuru

Author:kifuru
FC2ブログへようこそ!
元のHPは"kifuruの長文系ページ"、http://kiyo-furu.com (政治詩文関係)と ”kifuruの写真音楽系ページ http://www.kiyo-furu.sakura.ne.jp/(写真音楽関係)に移転しています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR