fc2ブログ

宝島社って、アホなん?

いつまでも、戦後のおバカな論理つかっちゃって。
竹槍で航空機落とすなんて、無理だし誰も考えてないんだが、当時は。むしろ戦後のレベル低下がひどい、

定理1・・・竹槍ではどんな航空機も落とせない(笑)

竹槍を伸ばせる長さはせいぜい10mだろう。
そんな低空を飛んでくれる航空機はない(笑)。かろうじてヘリはサワれる可能性があるが、当時ヘリはない。模型なら出来そうだけど、長い竹槍使えるかねえ。

定理2・・・「竹槍ではB29は落とせない」、ってのは修辞法(レトリック)であって、最初からそのテーマは論外。

戦後のバカサヨ連中がこのコトにきづいってない?ってのが不思議。ハナから論外なのだが。無理なんだから、ほかのてを考えよう、と言う趣旨。

毎日新聞の記者が戦争がくるしくなってきていた、昭和19年2月23日に書いたコラムのタイトルから来ている。当時は陸海軍の予算は同じになっていて、航空機の数も同じだった、かなり厳格に守られたらしい。しかし、防空て頑張ってるのは海軍機ばかり。紫電改とか月光とか。それで海軍機をもっと作るようにというのが、このコラムの主旨。

定理3・・・イギリスでも同様の訓練をやっていた

ナチ侵攻に備えて、水道管なんかをもたせて訓練させてた。特に変わったものではない。

定理4・・・防空が苦しくなるってのは分かっていた。

B29の試作機が飛んだのが1938年。とっくの昔から分かってたこと。1万m上空を飛べる日本機ははごく少数、高射砲も、ほんの数門。こんな状況で竹槍で落とそうと考えるやつがいるわけない。

定理5・・・しかし、1万m上空を飛ぶことはめったになかった(笑)。

偵察や原爆投下など。通常は3000m辺りから夜間低空密集攻撃をやっていた。そこが月光などの攻撃のつけ目だったし、B29側の被害も結構出ていた、約600機。むしろ日本側の対応の良さを褒めるべき。そして、撃墜したあとに竹槍の訓練の成果が出る。


続き
スポンサーサイト



テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

ポーランド弧児の記録

第一次大戦末期、ポーランド軍はシベリアに孤立し、多くの孤児達が見捨てられていた。ポーランド救済委員会は日本政府に救援を依頼し、日本政府は身寄りの無い子どもたちを救った。



子供たちは腸チスにかかったが、全員回復、しかし、看護師の松澤フミさんはなくなった。





テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

アイヌへ取り付く人たち

今までもアイヌの事は何度,書いてきたが、 ( → 不都合、不可解な真実、アイヌ問題)他。またまた見つけた。的場光昭さん、篠原常一郎さんによるもの→youtubeサイト
あまりにも気分が悪くて引用するのも不快。とにかく、左巻き、朝鮮系の日本に対する食い込みには呆れるばかりだ。しかも、沖縄にも入り込んでるらしい。日本の南北両辺でやってるからねえ。日本には、関わらずに自分の国でやってろよ。

的場光昭、篠原丈一郎両氏。なんと、辛淑玉とか、香山リカ、しばき隊、ANTIFA、朝鮮系が入り込んでる。金が出るのをわかってやってる。。


ムカつくんで、上のも出しとく。


ウポポイについて

小野寺さん、道議選おちてたのか。頼むよ、北海道の人。


イザベラ・バードが書いたアイヌの生活!

テーマ : サヨク・在日・プロ市民
ジャンル : 政治・経済

駆逐艦「雷」の英兵救出が知られたのはいつなのか

今は有名になった駆逐艦「雷」の英兵救助の物語だが、ちょっとばかり疑問がある。それは、90年代になってj初めて日本人が知ったと、大概の記録でなってるのだが、私は以前から知っていた、と思う(笑)。

ちょっとはっきりとは覚えてないのだが、70年代じゃなかったのかなあ。当時戦記物の月刊雑誌だった「丸」でよんだ。特に感動物として読んだのではなく、たんなる1ストーリーとして読んだ。私は読みながら、こんな話は普通にあったのかなあと思っていた。おそらく、こういう「普通にあったのかなあ」という感想が根拠になるのではないのか。もし、サムエルフォール氏の本から来たものだだったなら、そんな風に思うはずはないから。それなりにありえないことが起きたと受け取ったはず。

実は以前「映画「永遠の0」で描かれた特攻」という文を書いたときもこのエピソードを書いていた。その時点では、サムエルフォール卿の事は知らなかった。ごく普通の認識として書いた。他の、ハワイ攻撃で被弾して基地に突っ込んだ航空機、あるいは、珊瑚海海戦で、燃料切れで帰れなくなるのを知ってて味方機を敵空母まで誘導した偵察機と同様に、一つのこの大戦における常識として。そしてその時点では、どちらかというと、否定的であった。危険すぎるから。自分がその立場なら、多分その手はとらない。帰り道を見失った味方機でも放置して帰るのがこの時期の作法だったのだ。

もちろん、外れてる可能性はある。そこから来たj話を取り違えてる可能性。しかし、60年代70年代というのは、実は戦中の人はかなりいたのだ。だからどこかに知ってた人はいたのかも。まあ、「雷」は工藤中佐が交代したあと。撃沈され全員なくなったらしいが。

、以前のページ → ページ







テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

中国「大躍進」での被害者は億を超える可能性、顔智華氏

大躍進における被害者の数は、今まで数千万と言われていた。2千万から5,6千万あたりとか。文革と一緒にして、億に達しない程度かとも。しかし、敎育家「顔智華」氏の地道な研究によって、大躍進だけで億を超すかもしれないとかいう話が出てきた、

要は、オウムなどと同じ。何も知らん連中が上に立ったのだ。経験を元にしないと、何にもできない。今あるものがどんなに悪そうに見ても。いわゆる革新的な運動が始まったのは、フランス革命からかなあ。あれも失敗だったんだが、ま、教える方がそんな事は無視してるからね。






テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

縄文の土偶の意味、「縄文の女神」など

これはとても納得できたなあ。縄文の土偶の意味など。


土偶はすべて女性であった。ほとんどが妊婦。
特定の神などの模型ではなかった。
作ったのは相手の男性であっただろう。
土偶が壊されていたのは、母体の安全を願って、母体の代わりにこの模型を持っていって欲しいと願っての事であった。
常に死と対面していた状態の時代だったという背景を考えないといけない。

これでやっとなんとか理解できた。20160323.jpg

右は、”縄文の女神”、「縄文-1万年の美の鼓動」展より。(→ ページ
これも5つに壊されていたらしい。















テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

百年前の動画

写真だけではなくて、動画もあったとはね。道路に注意してほしい。大して汚れていない。



よく日本も昔は汚れていた、他のアジア諸国も日本並みになるだろう、なんていう人がいるが、それは違う。もともと日本はきれいだった。確かにタバコのポイ捨てとかはあったが、むしろそれは後世のもの。ハリウッド映画なんかの影響だろう。他国の風習なのだ。




テーマ : ある日の風景や景色
ジャンル : 写真

植民地経営は悪だったのか?

Coree.jpgそんな事はない。朝鮮半島なんて、当時の漫画に描かれているように、中国、ロシア、日本のどこかに所属するしかなかったのだ。日本がしなかったら、他国がやっている。ただのそれだけの事。その運命を逃れるスベはない。それは犯罪でもなんでもない。反省することでも、謝ることでもない。当時世界は、植民地になるか、その経営をするかの二つに一つだった。今の感覚で判断してはいけない。

その中で日本の指揮下にはいるのが、もっとも正しかっただろう。なにしろ、学校を4千校も作ってもらい、階級差別もなくしてもらった。何を文句いってるのかって話だ。新大陸やアジア・アフリカの植民地ははるかにひどかった。ボリビアの1銅山では、死者800万人らしい。800人じゃなくて。それを彼らはしらないらしいし。世界史を習ってないとか。まあ、それが不満なら自立すればよかったのだが、それまでずっと中国に従属していた朝鮮には無理だった。軍隊すらまともなものは無かった。

問題は、これに対して謝れだのいう、国内の左翼なのだ。この連中が問題を複雑にしている。連中は立派な事をしてるつもりなのだろう。きっと彼らのなかでの基準に合うのだろう。しかし、当時できたのか。言えたのか。韓国を自立させよとか。それができないってのを目の当たりにしてるってのに。

これは全く現実の話にあわない。しかし、国内世論的にも同情してしまう余地がある。で、そちらにも引っ張られる。過去の事は、謝らない。無理なことはしない、それを通すべきだろう。人間にはできないことがある。過去の歴史を変える事はできない。いくら謝ってもどうしようもない。そもそも謝るべきことでもない。それは現在の誰の責任でもない。彼らの先祖の責任なのだ。

(ま、これは朝鮮が植民地だった、という前提ですね。私は全くそうじゃないと思うが、一応一般的な認識を認めての話です。それでも、問題なしなわけです)


テーマ : 韓国について
ジャンル : 政治・経済

最初のアメリカ人は日本人?

アメリカに最初に渡ったのは日本人だったという説が → サイト

今までは、1万3千年前のクロービスという遺跡が最初のものだと言われていた。しかし、近年になって、アイダホ州にある、クーパーズフェリー遺跡から、1万5千年から、1万6千年前のものが見つかるようになったらしい。そして、その時期はベーリング地峡は、氷に覆われていたと。で、氷の中の溶けた部分を通ってやってきたのかと思われていたが、そうではなくて、沿岸をボートに乗ってきたのではないかと、オレゴン大学のローレン・デイビス氏が提唱した。

当時、すでに縄文ははじまっていて、実は、石器の作り方が、他の遺跡と違って、日本のものににてるらしい。その部分の説明が、以下のようなのだが、よくわからん。→ サイト

To make a Clovis-style projectile point, the flint-knapper has to chip off a flake from one or both faces at a point right at the base of the object. That creates a small groove (also called a flute), which makes it easier to fit the point onto the shaft of a spear or arrow. But at Nipéhe (and at a few other pre-Clovis sites in the Americas), people took the opposite approach: they shaped the base of the point into a stem to attach to the spear or arrow shaft. Some of the younger stone tools from Nipéhe are about the same age as the Clovis culture, but they're clearly a separate technology.

なんか、作り方が逆のようらしい。尖頭器というのか、矢なんかに付けるものらしいのだが。で、これは縄文にあるタイプらしい。たしかに、当時石器土器をちゃんと作ってのは、太平洋岸では日本だし。ま、中国もあるが。2万年前のものとか。ただ、これは盗まれたらしい(笑)。

前にも書いたが、アメリカに関しては色々と異説がある。

縄文土器とよく似た土器が南米にあるとか。古田武彦説。→ サイト
また、その辺りには、日本特有の病気があるらしい。HTLVの異常。
また、魏志倭人伝に、東南1年、で裸国黒歯国に至る、という記述があること。

あと、最近しって驚いたのが、アボリジニが南米iに、3,4万年前に行ってたらしいとか。これはびっくりだったなあ。→ ページ

続く




テーマ : 歴史大好き!
ジャンル : 学問・文化・芸術

文革カメラマン・・・40年後の帰還

これは面白いなあ。当時10万枚もの写真を撮って、40年後被写体になった人と会うという話。いやあ面白いものがあるもんだ。



カメラはライカの旧型、バルナックタイプか。望遠が出てくるが、135ミリかな。ヘクトール? 60年代半ばは、もう日本に天下が移りつつあったときか。

テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

プロフィール

kifuru

Author:kifuru
FC2ブログへようこそ!
元のHPは"kifuruの長文系ページ"、http://kiyo-furu.com (政治詩文関係)と ”kifuruの写真音楽系ページ http://www.kiyo-furu.sakura.ne.jp/(写真音楽関係)に移転しています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR